(_ _).。o○(日記?)

Twitter(slsweep0775)ではとても書きづらいと思ったことを書いて、さらにそこから流れる思考に任せて自由に書くブログです

備忘録として

文章が書きたい。心を込めた文章と見せかけてその実主人公の心情が滅茶苦茶に詰め込まれた文章。完璧じゃなくていい。完璧な文章は綺麗だ。綺麗な文章というのは、それが「綺麗な文章」だと、読んだ人間が思った時点で「綺麗事に埋め尽くされた」或いは「綺麗な言葉しか使われていない」文章であるので、それは人を騙す時に用いたほうが、効果は高い。
「人を騙す」とだけ聞けば、それはとても悪い意味に聞こえるのだろうけれど、人は必ず一度は「どうしても人を騙さなければならない」状況というものに直面する。誰だって。一度は。そしてそれは大抵一度では終わらない。嘘に嘘を塗り固める状況に、十中八九は転がり込む。そうして人は二度嘘をつく。最低が二度。多ければ何度も。上限は無い。人を騙さなければ人は人でいられなくなる。これはおそらく真理だと思う。少なくとも私自身はそう思ってる。
人を騙す文章ってのは、しかしそうそう簡単に書けるものではない。いくら綺麗な言葉で文面を埋め尽くそうとしても、どこかで必ずボロが出る。鋭い人間はそこを徹底的に叩く。そして嘘が露呈する。読んだ誰もが気づくような稚拙なものから、人の心情を文章から読み取るプロの人間ですら見抜けないようなものまで多種多様。後者のような高度な文章を書く人間は、やっぱりそういう文章を書くまでに何度も嘘を露呈させている。勿論、自分の意図に反して。
プロは書くことをやめない。「書くことをやめない」ってのは、素人目線じゃ簡単に思えるだろうが、それは実際に文章を書き続けたことがないからだ。実際にやってみるといい。最初は五分と続かないだろうし、本当に続かない人間は一文を書いてすぐに放り出す。文章を書きたい人間てのは、まずそういう気分にすらならない。無意識に淡々と長々と文章を書き続けるもので、やっぱり書いてる最中は我を忘れ時間を忘れる。己が構築した世界を描写することに躍起になり、自らの存在を忘れさえする。私はそういう人間になろうとしてきた。今まで。そしてこれからもその模索は続くだろう。やっぱり私は文字を紡いで文章を繋げ、物語を編み出していくのが好きだ。それがやめられないのだ。