(_ _).。o○(日記?)

Twitter(slsweep0775)ではとても書きづらいと思ったことを書いて、さらにそこから流れる思考に任せて自由に書くブログです

欲しいものは大抵自分で買ってしまうため「プレゼント何がいい?」と訊かれると言葉が詰まってしまう。実際そういう質問自体をされた経験がほとんどないため、ある種のテンプレートを作り出せていなかったこともあるだろう。

 

さて、七夕が近づいており、地元の駅前に地元の幼稚園児達が書いた短冊がそれぞれ吊り下げられていた。

思えば幼稚園に通っていた頃に同じように短冊に願い事を書きましょうということがあって、その時点で私には欲しいものが色々とあったものだから「何をお願いする?」という質問に対して、夜空のサンタクロースにでも見せるかのように「レゴブロックがほしい」と書いたところ先生に却下された。他の友達も「ゲーム機がほしい」と書いて却下されてたり、「おジャ魔女どれみのステッキがほしい」とかも却下された。曰く「もうちょっと何か他のことをお願いしてみようか」と何かを諭すように却下され、逆に「お父さんお母さんと元気に仲良く暮らせますように」とかお願いするといいんじゃないかとストレートに提案される。

即物的な物欲を否定していたのか、あるいはそれ自体が幼稚園児達には早すぎたか。いやまぁ教育の一環としてとか言われたら何も反論できないけど、後者だろうと思いつつも、私の中には段々と「自分が欲しいものをストレートに「欲しい」と伝えてはいけないような思考を持ってしまう。

現実的に物事を見てから何が欲しいのか言いなさい、その通りにしてやろう、みたいな。この辺りで「相手には期待するな」と捻くれた感情を持ちつつも、世間一般的にはその通りなんだろうなとか思い込んでしまった。

欲しいものを欲しいとストレートに言わずして相手に何が伝わるだろうと必死に考えてみても、「いやそれは道徳的にダメなんじゃないか」とか頭の中で勝手に反論されるため堂々巡りとなる。物欲以外の願い事をしろと言われたら、幼稚園児の思考にしてみたら家族の健康だとか家庭の安泰だとか将来の夢だとか、そういうものしか浮かばない。そういうものは当然の願いとしていつも考えていて、その上で物欲を願ったのだとしたら、それを否定される気持ちとしては……ねえ。言葉に表す表さないをその問題の中に組み込めば「いつも思っていることだけど言葉にしてみた」という感じで丸く収まり、問題もいくらか解決される。外見上は、だけど。

尤も、今じゃ欲しい欲しいとツイートしておいたりAmazonほしい物リスト作って公開しておくだけで簡単にその願いは叶えられるので、幼稚園にしてみれば大人になるまでの時間の問題であるとも言えなくもない……気もしないでもない。

自分が欲しいと思ってはいつつ、多分買わないだろうな、みたいなものをプレゼントするといいのかもしれない。ハンドスピナーとか。欲しいのは欲しいけど買うほどの欲しさじゃないなって矛盾するような感じですが、ギフト券とか特にそんな感じでしょう、ある種のプリペイドカードとして買うってんならまだしも。

そういうわけでプレゼントに困ったらギフト券とかいいんじゃないですかね、私は図書カードが欲しいです。

「残らないものをプレゼントにするのはどうかと思う」みたいな考えは全く持っていないので食べ物でもいいです、お食事券とか。甘いもの好きですよ、一緒に食べようじゃありませんか。

 

タイトルは思いつきませんでした