地雷の侵略が起きている。地雷の意味そのものが侵略を受けている。踏むと爆発するものがふと目を離した隙に自爆装置と化しており、埋められる場所も地中を飛び出し世界を飛び出し、更に次元が一つ下がり平面上の存在となっている
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
「地雷は誰の心の中にもある」とある経験者は語る。地雷撲滅キャンペーンが功を奏したか、今や地中の存在ではなくなっていると言う。誰もが肌身離さず持ち歩き、もはやペースメーカーのようでもある、と
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
地中に埋めて地上の敵を攻撃する兵器としての地雷は、今もなお肉体的苦痛をもたらす兵器としての立ち位置を獲得してはいるものの、ある地域ではそうした文化がそもそも無く、その影響か、当該地域において、地雷は精神的苦痛をもたらす「現象」として語られている
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
「地雷を踏み抜くと人間関係に支障が生じます」と、専門家は説明する。「命や手足を失う、いわゆる肉体的損失と同じように、人間関係や思考などに代表される、精神的な損失を被る存在としても地雷達は猛威を振るっているのです」
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
「自分の中に新しく地雷が埋め込まれているのを確認しました」と、「地雷」による被害者は悲愴の表情を浮かべる。自身の身体に新たな地雷を発見したならばまだ良い方で、最悪の場合作動してようやく自身の中に地雷を確認するという場合もあるのだと言う
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
本来の地雷は一旦爆発すると消滅する。しかし今回その定義を脅かしている「地雷」にはおよそ回数制限というものが存在せず、何度作動して爆発してもその都度、ある意味澄まし顔で悠々と爆心地に立っている
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
「地雷」は本来の意味の通り何処に埋められているか、という情報を得ることができない。数歩歩いた先に。数行読んだ先に。数コマ見たその先に。数秒聴いたその先に。文字、絵、音、あるいは物語そのものに「地雷」が作動するスイッチが無数に点在・混在している状況である
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経験則により地雷作動スイッチの存在を予測することはできても、当人の趣味趣向がその回避を認めないこともあり、しばしば葛藤が生じる。葛藤の末に、曖昧ながらも一応は予測できていた作動スイッチの位置が更に曖昧になり、敢え無く作動してしまうこともしばしば起こっている
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
こうした状況に対して学会は「地雷」の明確な定義を公式に示すべきであるとの方針を発表した。しかし数多ある趣味趣向のどこに作動スイッチが隠れているか、また自身に埋められた地雷の特性(「地雷」にはある程度分類し得る種類が存在している)をどの程度知ることができるのかもまた重要な課題である
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
「地雷」に関する定義付けの議論は度々起こっており、しかしながらその議論が収束の一途を辿った記録は無い。その度に葛藤が起こり、議論は混乱を極める。これは毎度起きている。そしてその間にも「地雷」は本来の定義から外れるだけに留まらず、元の定義を侵略し続けている。これが現在の状況である
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
筆者の個人的な結論としては、「この議論が終わることはまずもって無い。「地雷」が定義を侵略し尽くすまで永遠に続く」とだけ。「地雷」は派生を今尚生み続けている。主流としては「物語」に棲息していたが、ここ最近ではどうやら文体においても「地雷」の存在が確認されている
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
「物語」に棲息する「地雷」に関してはここでは省略させてもらうが、「文体」に関する分析の途中経過としては、文中の誤字、脱字、衍字、加えて単語の誤用、さらに文章としての体裁(代表して言うならば三点リーダや「?」、「!」の使用法則等)において確認されている
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
本来こうした、所謂「誤植」に対する表現には「地雷」ではなく他の言葉が適用されていた。例を挙げるならば「違和感」である。それ以外では、例えば誤植に対する所感を文章として述べるに留まっていた。つまり誤植に対して「違和感」以外に感情を表現し得る適切な単語が存在しなかったとも言えるだろう
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
最終的には「誤植」そのものに反応して作動する「地雷」が、思考の中に存在している可能性がある、と説明できる。「地雷は誰の心の中にも存在する」という創作者の言葉を借りて、本論は締めさせて頂く
— [ ◆ ] (@SlSweep0775) 2017年8月27日
本当はブログで書こうと思ったんですけど、ツイッターって短文入力装置だから塵も積もれば山となる的なアレですよね、試しに書いたら止まらなくなりました。
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