(_ _).。o○(日記?)

Twitter(slsweep0775)ではとても書きづらいと思ったことを書いて、さらにそこから流れる思考に任せて自由に書くブログです

「クソデカ感情」も「エモ」も、感情表現としては凄く便利なんですよね。好きでも嫌いでも言い表せない未知の感情、巨大な感情。自分が持ったその感情に名前がない、あるいは名前をつけられない、はたまた適切な言葉が見つからない。

そんな時に便利なのが「エモい」だとか「クソデカ感情」だったりするんですかね

私は「エモい」も「シュール」も同じ軸だと考えています。ただ、「クソデカ感情」とやらは今ひとつ持った経験がありません。かもしれない。あるだけで忘れてるかもしれないが。一番その状態に近かったこと、状況に出くわし、自分の中で湧いて出てきたその感情が、一体何なのかわからなくなった、パニックになった。そんな状況。一番近いのは、映画「たまこラブストーリー」を見終わったあの時でしょうか。あーすげぇなぁ、やべぇなぁ、たまらねぇなぁみたいなことをずっと考えていました。まさにあの状況で、自分の中にあった感情は「クソデカ」と呼ぶに相応しいものだったかもしれません。でも今は「尊い」という言葉が一番適切なように思われる

じゃあすると、ツイッターの世間で飛び交う「クソデカ感情」なるものは、その「尊い」でも言い表せない未知の文脈で使われているらしい。人は人の感情を本当に分類し切れているのかわからなくなってくる。感情類語辞典でも読むしかなさそう。そこに自分の感情に当てはまるものがなかったならばどうなるんだろう?みたいな不安はあるけど

感情にも様々ある。喜怒哀楽以外にも沢山ある。一つ一つの感情の大きさ自体はそれほどでもないのかもしれない。ならばそんな些細な、他愛もないような感情が寄り集まって、降り積もっていって、巨大な塊になったらどうなる?その塊の中に何がある?今まで持っていた感情の全てがそこに詰まっていることはわかっていても、わかっているのはそれだけかもしれない。だからこそ「クソデカ」くなった「感情」と呼ぶのかもしれないし、それともただ羅列した感情たちをひとまとめにして読んでいるのかもしれない。略語として、一グループとして、無数に集まったその感情を一つのものとしてしか認識できなかった時、その意味を表す言葉は今まであったんだろうか?「クソデカ感情」と言い表すようになる以前の人々は、そうして集合して膨れ上がった感情を何と呼んでいた?日記がブログ、SNSになって言葉もどんどん増えていったが故の現象なのか?

なんて。