(_ _).。o○(日記?)

Twitter(slsweep0775)ではとても書きづらいと思ったことを書いて、さらにそこから流れる思考に任せて自由に書くブログです

「ぼっち・ざ・ろっく!」という漫画が、高校大学を通して邦楽ロックを聴いていた私の脳と心に突き刺さってしまった。

 原作漫画の扉絵は大体が邦楽ロックのMVのパロディ、アニメになると今度は楽曲提供者がKANA-BOONだったりtricotだったりthe peggiesだったりするし、そもそもキャラ名はアジカンのメンバーが元ネタで、話数タイトルもアジカンの曲名を元ネタにしていたり、江ノ島行ったり八景行ったり下北沢の高校に通っていたりライブハウスでライブして、演奏技術も演出も卓越しているおかげで更に刺さってしまった。

 そして、結束バンドが発表する曲のことしか考えられなくなってしまった。今後どうなるのだろうとか、楽曲提供者にもしやアジカンの誰かが関わってやしないかとか、今月末に出るアルバムへの期待値は高まるばかりであった。

 本格的に生活リズムが狂い始めたので、昼に無理やり起きて会社に行き、休憩中は爆睡するような、変な感じ。冬季鬱が早くもやってきたけど、水泳は続いているのが不思議だ。元々好きだし、水の中でなら何不自由なく体を動かせることもあって、体重もなんとなく落ちた。健康なのか不健康なのかよくわかっていない。気がつけば食に対する姿勢も変わってきていて、惣菜や弁当をそもそも買わなくなった。鶏胸肉と野菜と白飯で生きている。あやふやで健康的なのかもわからないような食生活。

 外出が単純に減った? そうでもない。日々漫画を買いにあちこち店を回るし、図書館にも行く。映画館もいまだに梯子している。一般的には映画館は約2000円かかるアトラクションみたいな道楽趣味だけど、僕は手帳があるので1000円でたくさん観ることができるのが救い。

 それでも会員デーの金曜日は死守している。シフト調整で金曜日に出勤になった日はもう絶望。おかげでブラックパンサーを初日に観に行けなかったし、何より通院も叶わなかった。

 創作したい気持ちはあるが、冬季鬱と低気圧のダブルパンチで持続しない。だからいっそのこと受け手に徹している。積んだ漫画も読んでいる。一気読みはいい。でも物語世界に没入しすぎて、読み終わった後の虚しさが胸を締め付ける。推しの子のアニメ、虚構推理のアニメ、楽しみですね。

 部屋ではずっとオモコロラジオが流れている。曲もそれなりには聞くけれど、話し声の方が落ち着くのかもしれない。

 やっぱり僕には時間が欲しい。

 あまりにも足りない。全部を楽しみたいのに、時間がそれを許さない。

 ドラえもんひみつ道具に「時門」というものがある。これを使うと時の流れが遅くなる。ただし影響範囲は世界全体というSCPめいたアイテムなので、作中でのび太が時門を使い時の流れを遅くした結果、パパはいつまで経っても仕事が終わらず、しずちゃんはピアノのレッスンも終わらず、ママが作った夕飯は冷めてしまうなど、被害は甚大だった。

 一瞬欲しいと思ったけれど、これは要するに自分が楽しみたいからと使ってしまうと、働いている別の人間は、いつまで経っても就業時間を迎えられないという事案が発生するのだ。

 家の中にいても影響はある。電子レンジで何かを温める時、時間のつまみも、iPhoneのタイマーも、全て当てにならないのだ。VTuberの配信も、プレミア公開も、いつまで経っても始まらない。

 何一ついいことがない。私欲のために使ってさえ、その弊害を簡単に受けてしまうリスクがあるのだ。

 ブラックフライデーがこの前までありました。私も買いました。届くのが楽しみ。

 僕はブラックフライデーの時期になるとゲームのDIVISIONを思い出してしまう。現金を媒介にして天然痘が大流行してしまい、ニューヨークがめちゃくちゃになってしまう中を生きるシューティングゲームだが、以前コロナが真っ盛りだったころはまさにそんな感じのことが現実でも起きてたなぁと芋づる式に思い出す。

 映画館でもCOCOAの導入をして、入れてるなら電源は切らないでとアナウンスしてたけれど、最近それもなくなったらしい。

 最近見た「サイレント・ナイト」は「メランコリア」を彷彿とさせつつも、現代を痛烈に風刺したイギリスらしい映画だった。「グリーン・ナイト」は、寝そうになるくらい静かなシーンが続いたけど、考察しがいのある映画だったと思う。でも「ドント・ウォーリー・ダーリン」は、意外にも自分の中ではそうとう好みの映画だったような気がする。

 実を言うと、10月は一度も映画館に行っていない。観たい映画がなかったというのが一番の理由だけど、自分でも驚きだった。ひと月も映画館に行かないとは。