(_ _).。o○(日記?)

Twitter(slsweep0775)ではとても書きづらいと思ったことを書いて、さらにそこから流れる思考に任せて自由に書くブログです

 銅像が引き倒される動画があちこちで流れていて、今後、実話をもとにした映画とかに使われるんだろうなと思っています。或いは「2020年はこんな時代だった」といった感じでフィクションにリアリティを与えるために使われるか、はたまた近未来SF映画とかの冒頭部分で人類の歴史の一端として一瞬だけ映像が流されるか

 深夜に差し掛かる辺りで流された、ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んでいったニュース速報は今でも鮮明に覚えている。父親の実家のリビングで家族が棒立ちになってテレビを見つめており、まだ幼い私はその映像を見てブロックでタワーを作り、そこに飛行機のおもちゃを突っ込んだ。

 対岸の火事であるからこそ、不安にはなれど不安を感じることはできなかった。不安になったのだって、テレビを見ていた家族の様子がいつもと違っていたからで、むしろ大きな建物に飛行機が突っ込んだあの映像を見た時、ワクワクの気持ちを隠せなかったと思う。ブロックで再現するくらいだ

 2001年にそういうゴタゴタがあって、2020年に別のゴタゴタが起きているのを対岸から見て、私は当事者でないのをいいことに、当事者になり得ない立場にいるが故に、いまだにその先の未来のフィクションに想いを馳せてしまう。近いのはトムクランシーのDIVISIONシリーズ。疫病で崩壊したアメリカの街を、普段は一般人として暮らしているエージェントが集まって敵に立ち向かう

 ……そうまでは行かなくても、映画やドラマなどでの2020年の扱いは大きく変わるかも。

 例のゴタゴタから枝分かれして伸びるも剪定されてしまった「起こり得なかった」枝。それをフィクションとして再加工すれば、ネオナチ、KKKの再来、キング牧師の再来。混乱に乗じて行われる陰謀。経済制裁。国がメチャクチャならば、人もメチャクチャになる。2020年は序章に過ぎず、2021年の東京オリンピックで爆発騒ぎが起き、東京も荒廃。首都が移り日本が東西で分裂。温暖化により溶け出した氷から新たなウイルス・病原体の流出、試作段階の格闘スーツが急ピッチで製造され、少数精鋭で行われる戦争は作戦として着々と。メキシコの壁が壊される日、不法入国者が保菌状態で大量死。パンデミックバイオハザード、滅亡物語があちこちで作られるかもとワクワクしている。刑事ドラマやミステリ作品では人種の問題をより色濃く扱わざるを得なくなるだろうし。あのゴタゴタの巨大樹から枝分かれして派生したフィクションがたくさんある。そのまま枯らすか活かして物語にするか。そういう選択を迫られてると言い切りたい。

 なんにせよ、ゴタゴタがフィクションや創作に影響を与えるのはまずもって避けられないだろう

 ゴタゴタを経て作られたフィクションには影響と、さらに文脈が混ざる。キャスティングにも意味が込められ、キャストやスタッフ、ロケ地などにも。物語の外側で物語が始まり、もはや作品は本編だけではないのだと知る。キャストそれぞれの要素……つまり人種、ジェンダー、政治的スタンス。これらを本編を引き立たせるためのスパイスとして散りばめ、プロデューサーによってあれこれとハッシュタグをつけられ、ようやく客前に出された作品。純粋に映画を楽しもうとしてもスパイスやタグによって解釈が枝分かれし、気がつけば一本道の楽しみ方を誰もしていない。もう本編のみならずキャスティングまでもが一つの本編と化しているから一本道の解釈が用意されなくなったと言える

 作品の背景に込められた意味は、これまで半ば都市伝説的に語られてきたけれど、もうなんだかそういう時代でもなくなってきたみたいだ。いいところはいいと、悪いところは悪いと。これまでよりもグレーの範囲は狭くなった

 これからは偉人たちを悪役に据えたフィクションが流行りそう。対岸の彼らはもうすでにやっているかも。銅像に落書きをしたり壊したり倒したりを既にやっているわけだから、ノートに「リンカーンの倒し方」とか描いて悦に浸る子もいるんじゃなかろうか。自分だったらこうやって壊すのにと、彼らの妄想は偉人に反旗を翻すことでたくさんだ。

 彼らはあくまでも「間違い」が公衆の面前に堂々と残っていることに憤っているので、憎悪は銅像では消えず、象られた偉人にも向く。リンカーンの桜の木の逸話も、作られた話として簡単に修正を信じてくれることになるでしょう。デマを塗りつぶせるのはデマにしかできない

 偉人について書かれた伝記のデメリットは、扱った偉人の悪行が目立ちにくいところなんですよね、こういう偉業を達成したが、それ自体が実は数々の悪行のもとに成り立っていただとか、善行を成した裏でそれよりももっと多く、もっと酷い悪行が行われていただとか。そういうものが伝記には書かれることはあれどそれほど悪くは書かれない上、伝記という物語の構成上、いい終わり方を迫られるのでそれほど重要視されない事が多い気がする。「こういうことをやってきたが、結果的にはいいことをした」といった感じで、悪行やそれによる犠牲や被害についての言及が、いい人間であることを伝えるために省略されることもある。そういう形で語られた彼ら偉人のいい部分しか伝わらず、悪い部分が意図的に隠されるから伝わらず、偉人を表面的にだけ知っている人々は、彼ら偉人を時に神聖視する。

 そういう神聖視すらしていた人々にしてみれば、例のゴタゴタは冒涜に等しい。ここでまたゴタゴタが起きている。「悪いもの」や「間違ったもの」が、純粋無垢なる公共の場所に堂々と鎮座しているのが彼らにとって最も許せない状況だから。「真実」を知って、偉人たちの、伝記の「欺瞞」に気付いた彼らにとって、なんでもなかったようなものが不純物に見えてしまうから。

 世界が善行で埋め尽くされ、真実のみを大事とする人間だけが生きるようになる時代を目指している彼らの修正作業は終わらない。

 彼らの戦いはこれからだ。

ーー応援ありがとうございました!

ーー次回作にご期待ください!

 

 なんて。

 事実に基づいた映画作品を見る時、ほとんどの確率でパンフレットを買ってしまう。基になった出来事についてざっくりとだが簡潔に書かれていたりするからだ。「これはフィクションだけに収まらない。現在進行形で起きていることだ」といった感じの解説とともに、なぜこんなことが起きたのかだとか、そんなコラムや解説を読んで、映画の小ネタを拾うわけです

 文字が多ければ得。キャプションが多くても得。

 どちらにせよパンフレットはいいものです

時折amazon電気屋さんでPCを物色しています。どうやら価格ドットコムで買うと大幅に安くなるだとかポイント還元の話だとかそんな感じのサービスに頭をやられ、うちにある大学時代から6年位使っているwin8.1のノートパソコンのヒンジがぶっ壊れてしまったので、そろそろ買い替えの時期かなと考える一方で、サポートが終了したwindowsXPもしくは98もしくは95の古いノートパソコンを一台持っておきたい気持ちが沸々と湧いてくるので、メルカリやヤフオクやジャンクのお店で物色しています。私はそういう古いタイプのものを求めている理由として、互換性のなくなったゲームを遊びたいというそれだけのものです。だいぶ前に睡眠薬の勢いに任せて憧憬にも似た長文を書きましたが、その中でガッツリ遊んだフリーゲームRPGツクールも通用しなくなり、win10は愚かwin8.1ですらロクに起動しないソフトやフリーゲームは私を呼ぶ声がするんです。あの頃の憧憬とともに帰ってきたのは、体験版から製品版にグレードアップしたセガラリーチャンピオンシップ、ニード・フォー・スピードポルシェアンリシュド、ニード・フォー・スピードⅢホットパースート!レースゲームがごとごとく遊べない。win10ではことごとく。互換性モードも無力に終わり、残るはハードそのものを用意するしか無い。遊ばれなくなったダイソーの脱出ゲームや恋愛ゲーム、タワー略ゲームにタンクゲーム、そして一番好きだったギャラリオン、ギャラリオン2!これらはハッキリ言って、全く稼働すらしない。xpでもなければ起動など全くしない。あの時に浸った憧憬の残滓が、フワフワと気体となって私の頭に入り込んでくるし、私の頭の記憶の中でずっと漂い続けている。あのローポリゴンの壁や車、操作のつかれるキー操作、私はそういうものを今でも瞬間的に思い出す。私がゲームでパソコンを遊びまくって今がある。インターネットにつないでいなかった自宅でやることと言ったら、ひたすらPC専門誌の付録につくCD-ROMに収録されたフリーゲームを遊ぶだけだった。MUGENもそうだしLittle Fighter2だってそう。そういうのをしつつ、音楽のエンコードも情報は手打ちで、私はそのころようやく小説を紙に書くを事を覚え始めた。

 私は今、windowsXPもしくは、windows98もしくは、windows95。これらを求めている。

 憧憬の中に天高く登っていった類のもののいた。

 とある落語とプラネタリウムが収録されたCD-ROMだ。

 主人公のはくちょう座が、雨雲によって街からは見えなくなったのをいいことに他の星座と自由に交流したり生活したりというそんな落語だった。

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 この噺家だった。

https://rakugo-kyokai.jp/variety-entertainer/member_detail.php?uid=79

 ひとつはこれ。この落語と一緒に、1月から12月に見ることができる星座をプラネタリウム画面で映し出される解説動画を見て、私は星座を知り、空を見上げるようになった。

 もう一つは富士通体験版CD-ROMに収録されていた、当時としては珍しいCGポリゴンのゲームのデモ。新婚夫婦の妻が原因不明の大病を患ったため、何らかの技術を使い妻の体の中に入って病気を治すというもの。妻の体の中では更に小さな生物が集落のようなものを作って暮らしており、何故か彼らとコミュニケーションを図るうち、何故かその集落の存続と妻の容態というアンバランスな二択を迫られるといったゲーム。

 そのCD-ROMには、オラシオン社の「ピーターと狼」、同じくオラシオン社のくるみ割り人形スヌーピーと英語を学ぶ感じのソフト、後はなんだったか忘れた。

 CD-ROMの盤面だけはその曲ちゃんと覚えていいて、当時富士通のマスコットキャラクターだった「タッチおじさん」がメガホン持ってるようなイラストがプリントされた「富士通体験版CD-ROM」と書かれたCD-ROM。

 

 誰か知りませんか。

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タッチおじさん

 私はバージョンに見捨てられ、未来に見捨てられた彼らのゲームを、同じく時代に見捨てられサポートまで切られたwindowsたちと、少しばかりのタイムスリップでもしてやりたい気分で、彼らと遊びたい。ひたすらに。

 以上が、私が過去のジャンク品にも満たないようなOSで動いているパソコンを求めている現状の動機である。

 だれかいたらください。

 windows XP,windows 95, windows 98。これでしっかり動くのであればどうなっててもいいです。できればノートがいいかも。とりあえずジャンク品を売ってるお店を見て回る作業はこれからも続くだろう。

 この前RADWIMPSがとうとうサブスク解禁に踏み切ったのが嬉しくて、ずっと聴いてる

有心論

有心論

はてなはいい。Twitterマストドンと違いその場で曲をプレビューさせて視聴ができる……Twitterでもできるらしいって?そうなの?…そう…まぁいいや

 解禁とはいえ全部じゃない。味噌汁'sは未だにだし、アルバムも楽曲も。まだ聴けないものがある。

 RADのサブスクは、サブスク用にこしらえたらしいベスト盤と称したアルバム二枚。「RADWIMPSのはじまりはじまりのまとめ」

「青とメメメと君と」

 だけ。追加でシングルをいくつか先行で配信していた。そこに突然解禁されたアルバムシングル全部…とは言わないが、サブスクでまともに聴けるくらいにはなったわけだ。

 本人たちの意向によるものなのかという気持ちが常に強くあって、彼らはCDとライブで聴いてこそみたいな気持ちはまぁわかるけど……

 サブスクを拒否する…というかサブスク解禁に難色を示すアーティストたちの心境が少し気になる。私自身は楽曲を完全に享受する感じで音楽と接しているわけで。一顧客でしかない。報酬は確かに支払われるのに、そのリターンがあまりにも少ないみたいな話は、それはそれで重大な問題だ。ただそういうのを抜きにしても、サブスクを解禁しないってのは、作り手として音楽を発表したことのない私にとって、わりと難解だ。よくわからない。

 そこまで重要視していないのかもしれないし、配信だと手元に残るのはCDじゃなくデータだから現物を買ってほしいとか。確かに歌詞カードは重要だ。PDFでもらうのも悪くはない。だが紙をどう駆使して巧妙な歌詞カードになっているかってのはわかり用がない。

 歌詞カードも作品だ。

 装丁も作品。

 CDのデザインだって作品。

 配信系のサービスにおける致命的な欠点がある、CDジャケットは正面だけで、裏面を見ることができないことだ。ケースを開けてCDを取り出した時に現れるホルダー下のイラスト或いは写真。この作品を楽しめない。そしてそれらの雰囲気に飲み込まれて、歌詞カードを手に取ることができない。重要な一部だ。まずその装丁に掴まれる。歌詞カードを侮ってはいけない。歌詞を読むために手繰る頁そのものが世界観の一部であり、重要なファクターですらある。歌詞だけが作品だと人は言うが違う。曲の展開とともに流れてくる電子的な歌詞サービスは確かに便利だしかし。装丁、レイアウト、字体、写真、イラスト、CG。これらの要素が全て全力で組み込まれており、曲に合うように合理的に組み立てられており、全体の雰囲気に合った最高品質の装丁を組み上げて、歌詞は着飾り、己の言葉とする。そうして配置されて、ようやく歌詞カードは完成される。書かれた歌詞が共鳴し、様々な効果を相互に起こし、メインの曲たちの持つ力を最大限に引き出し、最高火力で音が鳴る。

 CDデザインだってそうさ。穴の空いた円にいかにしてその雰囲気を乗せていくか。そしてそのホルダー下の雰囲気とどうマッチするのか。常にデザインの萌芽はそこにあり、そこから取れるデザイン、雰囲気、それらのアイデアだけでCDはできてる。

 歌詞カードはバフであり、CDケースもバフだ。CDそのものもバフであり、その中にある小さな音と言葉のデータに全てのバフがかけられる。

 そうして再生された音楽は神のような作品となり、CDがある限り。バフは永遠に続くわけだ。

 

 

 

 

 

 

…なんの話だったっけ?

 

 サブスクの話。なぜサブスク解禁に踏み切れないアーティストがいるのか、その当人たちの、サブスクリプションサービスに対する思いを、私は知りたい。

 そう言う話だったと思う。

 

 なんでこんなことに?

 

 

「とともに流れてくるそれらの世界観が頭の中に構築されて、ようやくCDを聴くって時に」

 

 ……覚えのない文章が一番下にあった

「お気持ち」オタクの絨毯爆撃

 睡眠薬を飲んで眠りかけの頭で文章を書くと、脳の変なストッパーのあれこれが外れてしまうらしく、ここ最近の文章、日記は殆ど深夜に書かれています。小説も同じく。

 マストドンjpが終わってしまう。2年ほど世話になり、友達もできた。彼らを失いたくはない。

 Twitterに戻るかどうかを一瞬だけ考えたんですが思った以上に人もおらず、そもそもあのアカウントはリアルアカウントだったこともあり、フォローをしていた友人はTwitterそのものから離れているらしい。TLに流れてきたツイートは会ったことのない人間のツイートだけになってしまい、リアルと趣味のないまぜになったアカウントになるんだろうと思っている。

 そんな状態で、創作の更新やら映画を観たという連携ツイートをしているだけの中国語の部屋みたいな状態を続けて行っても構わないかもしれない。自分自身のツイートが、機械のツイートの山に埋もれて何を話したのか全く分からなくなるよりはいい。

 

 Fedibirdという分散型SNSを利用し、とりあえずそちらに家を移すことにする。平たく言えばローカルタイムラインのないマストドンみたいなもので、フォローしていないアカウントのトゥートを見ることはできない。それだけが気がかりなので、当分様子を見たのち、他のインスタンスを探す。これで行こう。一時的にだが、利用させてもらう。

 

 

 

 スマホゾンビが目の前を通り過ぎて行った。

 恰幅の良い人間に体当たりしてしまい、ゾンビは死んだ。哲学的ゾンビが通報をしてる。どうしてすぐに通報しようと判断できたのかわからない。普通ならゾンビの様子を伺うなりして生きているのか本当に死んだのかどうかを確かめて、何かしら感情を表出するはずだろう。なのに何もない。

 程なくして救急車は来たが、サイレンは最後まで鳴らなかった。

 スマホゾンビはコーヒーが好きらしい。クリームが付いていても、ブラックであろうとも、ケーキすら付けてカフェオレを頼む。写真を撮り、ネットにケーキの標本が出現する。

 多くは流行のメニューを頼むらしい。どのゾンビも同じようなファッションに身を包み、広告塔に映るモデルに近づこうとしている。本当にそうしたくてしているかはわからないが。

 BOOKOFFに本を買いに行くと、欲しかった本の欲しかった巻数だけが空っぽになっていた。書店に行ってもその巻だけが無い。

 理由ならわかる。紛れもなくスマホゾンビの頭の中にインターネットゾンビがいるからだ。

 その巻数だけが売れたのは、話がどうとかではなく、その巻に収録されているとあるページを改変されたネタが、インターネットミームとして蔓延したかららしい。倫理観のあるスマホゾンビもいるんだなと納得をする。大多数はインターネットで読むだろうし、そのページだけを求めて彷徨っているだろう。

 義務感に駆られて作品を見るような生活が続いているのであれば、オタクであることに疲れてしまった存在であるとまだそう言えるだろう。ゾンビとは違って欲求があり、意識があり、クオリアがあるから。

 中身だけが腐ってしまったゾンビたちは、流行っているものを貶しつつ触れる。うまくいけばゾンビはアニメゾンビになる。フィギュアゾンビになる。特撮ゾンビになる。

 

 ここに、最近のオタク文化についていけなくなってしまった一人のオタクを紹介しよう。

 彼は行き詰まっている。

 周りがハマっている最新の作品に今一つ乗れないことに疎外感を感じ、過去の作品をサブスクリプションサービスで見返す。過去の作品に触れ、過去を思い、自分にとってのオタク全盛期に想いを馳せて、憧憬に浸り未来を恐れ希望を失っていく。少しずつ。

 そんなある日、彼は最近の作品やそれに端を発する最近のオタク文化に関する雑な論考を長文にしたため、或いはツイートでスレッドを作り、淡々とぶちまける。最近の作品にまつわる環境、作家の生活、その土台にある自分の体験と感情の動き、そして今後の成り行きを含めた自分なりの予測。

 これらを不快感、怒り、憐憫、憂い、不安、悲しみ、そのあたりの負の感情と合わせて、しかもただ書くのではなく、修飾と比喩を絡めて、その上自分の体験を重ね合わせて書くものだから、文章量は多くなる。自分が見てきたものを書き連ね、時々脚色を入れる。脚色を入れるのは、書いている自分がつまらないと感じているからであって、その他の読者がそう感じるかもしれないと危惧しているからではない。あくまでも主役は自分であり、最大限配慮されるべきは自分自身だと考えている。

 

 それにしても、彼は何故こんな長文を書いたのだろう?

 理由は主に四つある。

 

 1.言語化

 2.セルフケア

 3.自己顕示

 4.自戒

 

「彼らに対して思うことがあるけれどどういうことなのか自分でもわからない。だけどこれは言わなければならない気がする。言いたいような気がする。言ってしまえば楽になれる気がする。むしろ言わないとおかしくなってしまいそうだ」

「自分以外に自分のことを知っている人間はいない。だから慰めてくれる人間もいない。だけど慰めてほしいしわかってほしい。自分の意見が確実にここにあるのだとわかってほしい。自分が意思を持つオタクなのだと知っててほしい、見つけてほしい。読んでほしい。そして自分は決しておかしくなってなどいないのだと言ってほしい」

 彼はそう考えて書いた。「これを読む人間はぜひ、自分のこの内容も含めて全部を認めて肯定してほしい」読む人間にはそのように要求していることだろう。

 だけどそれもこれも全部「自分のため」の文章である。

 自分の中に渦巻く気持ちの整理をつけるために彼は書いた。そして一文一文字書くごとに自分の気持ちが明確になっていき、書きたいことが明確になるのでそれも書いてしまう。やっぱり長くなる。

 自分が一体何を思っているのかわからなくて不安なのでとりあえず書いてみるとなんとなくわかってきた。だからその過程も書いてしまおう。

 自分の気持ちをとりあえず並べ替えてみたら運良く文章になったのでその成果を見てほしい。

 気持ちを整理したら物事や感情を受け入れる容量が増えたのでその成果を見てほしい。

 デフラグみたい。

 中身なんて無いのに。

 

 ともあれ、こうして匿名ダイアリや日記などのエントリとして「お気持ち」が我々の元に送られてくる。オタクは滅多に「良いこと」に関する長文を書かないのでこの「お気持ち」は燃える。

 

 オタクたちの流行になんとなく乗ることでオタクになっていったパターンが今は多い。人気作品から様々な繋がりでオタクになっていく。なんとなく、興味ないけど、暇だったから、見るものもないから、そんな気持ちでオタクのなりかけが誕生する。彼らが完全にオタクになるまでそう遠くはないし、そう手間もかからない。

 誰かが「にわか」と叫びながら石を投げている。逃げなければ。

 彼はこの流れを掴めないまま、流れに乗ることもできなかった。置いてかれてしまう。怖い。取り残されたくない。恐怖が渦巻き、未来への不安は募るばかり。だが何も行動を起こせない。でもそれは嫌だ。何もできないけど、何かを残したい。

 人にはゾンビになる素質がある。何も考えずに行動することができる。敢えて疑問を持たないように意識することができる。周囲に影響を与え、仲間を増やすことができる。

 彼はその存在に気づいた。

 そしてゾンビになった。

 

 過去に縋っている人間はそこら中にいる。発信しないからわからないだけ。

 時代についていけなくなった敗北宣言にも似た長文の「お気持ち」はネットを駆け巡り、言語化する術を持たないオタクたちに力を与える。

「わかる」「そう思う」「気持ちはわかる」「これ」「ほんとこれ」

 力を与えられたオタクが鳴き声を上げる。

「そうは思わない」「違う」「またお気持ちか」「わからない」「何言ってんの」

 力を与えられたオタクが鳴き声を上げる。

「お気持ち」は引用され、改造され、威力は下がる。次第に解析され、「雑な論考」と一蹴され、やはり威力は下がる。

 ちなみに彼の長文が「雑な論考」だと評価されたのは、知識だけが最新で彼自身の価値基準が古いままだったからだ。

 適応度の高いオタクがゾンビになっていく。

 

 

 さて、彼は何を思ったか更に文章を書く。

 ひとしきり燃えた「お気持ち」の灰から燃えカスを掬って、彼はまた書く。

 それは補遺のような意味合いで書かれた苦しみの暴露。

 いかに苦しみながら狂っていき、その末にいかにして真実に到達したかを淡々と書く。「※追記」と称して「お気持ち」への外からの反応と、改めて自分の中で熟考したらしいものをアウトプットして感情を鎮める。「自分はこうしてこういう経緯でこういう背景があってこうなってしまったのだこんな雑なことを書くに至ったのだ書かずにはいられなかったのだ」。あくまでも自分は被害者であって、自分の「お気持ち」でいくら人が傷つこうともその立場は揺るがない。自分は悪くない。

 根底にあるのは負の感情と、それとは別に発生している怒りだ。時代への。世代への、社会への。作品への。自分以外への。自分のせいでこうなったと繕いつつも、自分が悪いと前置きを書きつつも、あくまでも怒りの方向は自分以外に向いている。自分を怒らせたから。

 そうした自分以外の全てへの怒りを込めて書かれた長文に貼り付けられた商品名が「お気持ち」なのである。「自分は悪くない。あくまでもお前らが、社会が悪い。自分は被害者である」。

「お気持ち」には明日への憂いが最大限に書かれている。「今にこうなる。そしてそうなる。現状がこんな惨憺たる結果になっているのだから、絶対にこの流れは止められない」と。これまで接してきたものたちに対して、持っている感情はもはや二つ。

 憎しみと恐怖。

「こんなものが流行っている世の中はおかしいし楽しんでいる人たちは狂ってる」と、「どうしてこれが流行っているのか本気でわからなくて怖い」の二つ。

 オタク文化の流れを憂うのも、ファンを嫌悪するのも、頼まれもしないのに脱オタ宣言をするのも、全部この二つの感情が根底にあるからだ。

 負の感情の発露の仕方を間違えると人は狂う。

 ゾンビも考える時代だ。脳だけが何事もなく活動している種類が今はメインになっている。だから馬鹿ではない。ノーベル賞を取るくらいだ。彼らの権利は国際的にも認められ、真っ当に生きる権利を得ている……厳密に言うと、元から権利はあったのだが。

 

 ゾンビの行方は、誰も知らない。

引越しをしました

 

 2年住んだ上、仕事したり映画見に行ったりする分には若干遠い立地にある上、大通り沿いのマンションだったので車の走行音も収まらないくらい喧騒に囲まれて、夏は暑い、窓を開けば風は入るが音も入る。ガスコンロは二口あるけどグリルは無い、そんな感じの点にさえ目をつぶれば住み心地は基本的に文句なしの快適さで、精神がやられて体までやられたときはずっと家のあちこちで倒れながら、床の冷たさが心地よく。

 家もまぁそこそこ広く、台所の洗い場はメチャクチャ狭いので洗った食器はどこにも置けない、置いたら置いたでまな板を置けない野菜を切れない。そんくらい狭かった台所も、まぁ住めば都みたいな感じで2年

 

 1年目初期は新卒入社ということもあってうつ病は鳴りを潜めていただけらしいからどうにか働けた。仕事は17時に終わり、帰ってきたらケムリクサや仮面ライダーや映画などをアマゾンプライムの小さなスマホ画面から見ながら料理をして、時には徒歩で天神まで本を買いに行ったりした。

 夏に差し掛かるちょうど今頃の住み心地は、窓を開けて、玄関ドアを少しだけ開けておくと、風が通り道になるので空気の入れ替えとしても活用していたし、涼しい台所だった。

 結局…その後なんやかんやあって休職をし、職場が変わり住吉からももち浜になったわけだが、その頃にはうつ病も再発していたものだから治るわけがなく、体も動かずでどうにもならないまま貯金を切り崩す。

 2019年、私のニート生活も下半期中盤まで続くものだから目も当てられない。なにしてたっけ?映画見に行ってただけじゃんね。10月からまたももちで電話をとる仕事になったもんだから、まぁ最初に行った住吉よりはだいぶ楽にできたけど…不眠症がそこでやってきたので、眠れないまま仕事をする日も出てきた。睡眠不足は体調不良を引き起こす。なるべくしてなった体調不良に自己愛と鬱病が追い討ちをかけてくるので僕の体は、職場の中をフラフラ歩く死にそうな男に写ったことだろう。家という自分が帰る家という存在だけが自分を受け止めてくれるような気がして、ネット先の人間も同じように僕の生きる生命線になろうとしている。

2020、仕事そのものが終わるらしく、最後の給料でどうにか次の家を探したら、住んでるところとそう遠くない場所に部屋を見つけたので僕はそこに決めた。

 ロフトに窓がある。空は見えない。窓のせいで。 

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 本棚は文庫版がロフトにある。

 漫画は分割して階下に置いてる。

 ロフト、話で聞いていた通り暑い。扇風機でどうにかなる。秘密基地めいたロフトの中で、生活をしてみたいとさえ思う。

 ただ一つの懸念は、ロフトからの転落だけ。

 下の部屋の窓は開くに開くが、風が通らない。これがちょっと気にかかる。

 いままで7万近く家賃を払ってあの部屋に住んでいた。今の家賃はおよそ4万なので3万分の何かが引かれていると考えてみると、一番は2点式ユニットバスぐらい。リモコンがないので温度調整をできない。蛇口出すか止めるかだけの蛇口がないので60°Cのお湯と冷水を常に黄金比率になるまで調整しなければならないのだ。

 ……それ例外は特に……ないな……

 建物が木造なので、少しだけ音が聞こえる。窓を開ければ会話が聞こえ犬も吠えテレビの音も聞こえる。思っていたより静かだなと思った。

 そして思ったよりも部屋が広い。

 最寄駅もそんなに距離は変わらない、品数が増えた大きなスーパーが近くにあり、少し歩けばミニストップ。夜にコンビニに行くのが好きだが静かだとなおいい。

 ここは静寂だ。

 あの家は、時期的に引越し時期とかぶったこともあって、深夜中工事音で耳が死んだ。大通りを工事しようとなると、こういう弊害が起こる。

 

 マンションの隣にあった餃子屋テムジン、結局行かないまんまだった

 最初で最後の悔いは餃子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 過去を少しずつスライスして、脂身を削いで見た目をよくし、そうして出されるのがエッセイめいた回帰的回顧録。それがブログ。自分のエピソードを書くために、人は自分自身を切り取り加工しなければならない。それが嫌なら最初から何かを作り出すことくらい。

 ブログで最近になって過去の出来事を書くたびにいつも思うのは、まだ語れる部分があるのではないかといった残り物の捜索をする自分の姿。まだ可食部があるんじゃないかと骨付き肉のあちこちを吟味し、自棄になって軟骨を頬張るような、そんな感じ。それを正直良く思っていなかったということ。過去を省みて何かを書くのは、書く人間の曖昧な記憶が題材の全てであり、主観100%の自分以外にとってのフィクションに近い何か。誰のためにブログを書き、誰のために日記を綴り、自分のために何もかもを残す、私がここ最近でやってきたのは前者の「主観100%の自分以外にとってのフィクションに近い何か」だ。残り物の食材と昨晩の晩飯で作られる新しい過去。僕の物語は脚色をされてこの記事に載る。

 そうまでしないと、僕は僕であることを維持していられるかどうか怪しいから。

 

 そういうわけで新しい住所からがんばります

 

 

 

海外ドラマ「アップロード」の話

※タイトルの話題はページ半分辺りから始まります。

 

 

 

 語ることが多すぎる。

 事故死して転生、VRNMORPGからログアウトできないバグの発生、電子の海に閉じ込められたその先で、主人公たちはどう過ごすのか?

 

 そんなweb小説によくあるVRMMO、異世界転生、二度目の人生、そんな感じのファンタジーとかSFとかって増えてるかもしれない

 でも、その前にちょっとだけ、人為的なユートピアパークの例をいくつか紹介しておきたい。ウエストワールドとドラえもんのび太と銀河超特急だ。

 世界そのものが虚構だと気付いたコンパニオンのアンドロイドが、ウエストワールドという欺瞞の場所をぶっ壊さんとしたり、残虐にコンパニオンを壊して楽しむ客たちに一矢報いたりしながら世界の外側を目指そうとするのがウエストワールド。

 映画ドラえもんの「のび太と銀河超特急」ドリーマーズランドは、宇宙にあるテーマパーク。いくつかの惑星に分かれており、惑星ごとにコンセプトがある。キャラクターと時代を選んでロールプレイをこなしていくことで敵を倒す姫を救う忍者となりて巻物を盗むなど何にでもなれる。驚異のスーパーロールプレイ。そしてパークにバグが発生し、アンドロイドも狂ってしまい、客を襲ってやってくる。実際は宇宙生物の仕業だけど。

 前者が血しぶき飛び散る過激な世界に対し、後者は宇宙のウエストワールドと言っても過言では無い。ある程度のゴア表現は取っ払われて絶対安心安全神話が保証されている。まぁ年齢層が違うからなのが理由だろうし、どっちにせよ宇宙生物によってメチャクチャになる。

 下手な比較でもしてみるか。

 ロールプレイのためにAIキャラは撃たれ食われ直される。ウエストワールドのコンパニオンは、繰り返されるロールプレイに違和感を覚え、ワールドの欺瞞に気づき、パークを変容させていく。

 宇宙侵略のためにAIコンパニオンに寄生しバグを起こし事故を起こす。そういった流れで人が襲われまたしてもランドはメチャクチャになる。

 宇宙生物が寄生して故意にバグらせ恐竜たちは不具合を起こしたのに対し、アンドロイドたちは自意識を武器に自ら反逆を起こす。とりあえずドラえもんは窮地を抜けて、宇宙寄生生物を退ける。

 ウエストワールドの崩壊と、ジュラシックパークの崩壊を同時に引き起こすレベルの脅威。下手すれば外側からさらに外側に向かって脅威が膨らんでいるイメージはないと言えば嘘になる。

 

 何書いてるのか分かんなくなってきたのでこの話放り投げたくなってきた。

 関係ない話になってるので一旦切る。

 

 意識を完全にデータ化してデータとして残す。そしてデータとしてこれからを生きるということが、どういうことかというと、人はみんなUSBメモリに収束するというごく単純な話になる。USBメモリを化粧感覚で、あるいはゲームを選ぶ感覚で、はたまたポーカーの掛け金代わりとしてでもいいだろう。中には衣装データに化粧データ、金のデータ、個人情報の分厚いデータ。それだけでレディのバッグは満タンになり、高級な買い物を楽しむことができるようになるのだ。どうせ小さなチップにとって変わられるが。

 リュックベンソンの「ルーシー」にてラストのシーン、スカーレットヨハンソンは概念となり、この世の全てを記録した一つのUSBメモリへと変貌し、その生を全うした。

 ウエストワールドの話に戻ると、そんな感じでこの世の全てとして見せられていたものは電脳世界の欺瞞だったこと。ドリーマーズランドはそもそも虚構を全面的に出しているから……とはいえ、視点の違いは考えてみる。ランドで楽しむドラえもん一行は顧客側であり、ウエストワールドのアンドロイドはコンパニオン側だ。一行もドラえもん以外は完全に人間であり、ドローレスはドラえもんと同じロボットの類。ここだけ整理しておこう。ドラえもんは確かにロボットだが、パークを大いに楽しんでいる。ロボットもロボットを楽しんでいた。

 

 また脱線したので話を変える。ハッキリ言って前段の話がこれから出てくるかと思えない。なんだか無駄なことを書いた気分だ。

 

 コンピューターを人が手にした時、全能感は半端ないものだったはずだ。これでなんでもできるなんでもつくれるこれで有名人になれる。実際そうなった。さらにインターネットという存在が追い討ちをかけて、人間の生活を上から覆いかぶさっていった。コンピュータ、スマートフォン、そしてインターネット。これらがなければ人は金を払うことすらままならない。

 データという存在は実に儚いもので記憶しても消えることがある。外側の劣化、内側の劣化どっちも要因だ。人間にしても、外側内側どちらにしてもガタが来る。あちこちが錆びつき思うように動かず、動かそうとすればぶっ壊れてしまう。にもかかわらず自分自身のメンテナンスに金がかかり、そうしなければ死んでしまう。頭の中では死を嫌う以上絶対に必要になる工程である。劣化は止められないが、遅めることはできる。それだけなのだ。

 そうして2033年

 死にかけの人間の頭をそのまま取り出して脳の状態を全て把握し仮想のデータを作り、さらにそうしてできたアバターを、電脳世界に解き放つ。これがアップロードだ。あの世のデジタル。自分の魂はデジタルデータとなって記憶媒体となってしまったのである。体はそのまま残りデータの体で葬式に出席する。自分の葬式にデータとして。

 どれだけ良く生きようとも、どれだけ誠実に生きようとも、天国と地獄の存在しない電脳世界の死後の世界というのは思ったよりも不便な世界だった。最大の誤算と言える。

 

 2033年の死生観は大幅に変わってしまった。人は人のまま死ぬという現代ならばそれほどおかしくない死に方だろうけれど、十数年未満経てばすぐに古い考え方になってしまう。何故かって? アップロードがあるから。

 アップロードさえすれば、今までの経験体験思考志向嗜好すべてが電子化されてアバターとなり、ある程度の整ったそのままの容姿を持って、より良いグレードの待遇を受けることになるのだ。仕事はなく、ただ寛いで、余暇を過ごす。終わりなき余生の始まり。記憶を見ることもできるし、現実世界の人間と話もできる。データという同じレイヤーにいるからデータで作られた家具や商品にも触れるしベッドで眠れるシャワーも浴びれる。朝食はハニーベーコンドーナツ他豪華な食事。時間厳守で過ぎれば全部消滅する。データだし。バグ技を使えば食べ物は出てくるけど。空腹を不要なものだと思う人間にアップロードはお勧めできないだろうな。地獄だ。

 

 現世では3Dプリンタが有名シェフの食べ物を作り、脂身のカートンが切れかけならパサパサになる。逆に骨付きチキンに骨が入っていることに驚いたりする。卵みたいな自動運転車がロサンゼルスを走り、Facebookは買収された。

 アップロードがあるから死に対しての価値観が全然違っている。瀕死の事故にあってもアップロードすれば大丈夫。だってそうすればまた会える。人肌を感じるための全身スーツとヘッドマウントディスプレイさえあれば温もりも感じ取れるハグだってできるキスだってなんだって。だから悲しみはまったくといっていいほどない。瀕死の状態でアップロードをするなら、規約事項に同意をしなければならない。してないのにアップロードをするのであれば、瀕死の状態で意識を失う前に契約書の小さな文字を読み同意を迫られる。第一の地獄。

 アップロードおめでとう! これからの人生は無限大だ。そう思うだろ? 思いたいよな? 全身にスーツを着込むことでデジタル世界のアップロードされた人間と触れ合うことができるとか夢みたいだと思うだろ? 誠に言いにくいのだが課金要素がある。課金しなければまともに物も食えない、コーヒーも飲めない。そんな地獄。

 AIスタッフはみんな同じ顔で、呼び出しが重なると分裂する。子供用にゲーム対戦相手にもなり、システムアップデート如何によっては優秀なコンシェルジュにも成ってくれる。サービスに関しては申し分ない。擬人化された飴売りのポップアップ広告を君が鬱陶しく思わないならパーフェクトだろう。

 アップロードの時に必要になるアバターは本人となる。生前の様々な写真から実際の顔を作るわけだが、子供のまま死んだのであればアップロードされた人間は子供の体のまま数年間過ごす。モノクロ写真なら全身が白黒になり、カラーの物を手にしても白黒になる。

 子供のアップロードは、成長済みの新たなアバターをアップロードされない限り成長はできない。バグまみれの違法パッチを使えば解決するかもしれないが、副作用としてどうなることやら。外の様子を知ることこそできるが知れば知るほど地獄となる。通話先に映る世界は現実世界で、死んだ時よりもはるかに年数が進んでいる。アバターが更新されない限り、誰も彼もが自分の歳を追い越していく。地獄。

 今回主人公がアップロードされた「レイクビュー」は湖畔の高級ホテルなわけだが、湖のループ処理は甘い。同じ波が何度も何度もGIF動画みたいに永遠に。

 そして何万層ものレイクビューの中で何万ものアップロード者が動いているから、湖に飛び込もうとするとラグが起きる。

 写真から作られるアバターの作りが甘いと不便なことに寝癖を治せない。寝癖も含めたキャラメイクなので現実世界で修正が入らない限り寝癖を絶対に治せない。地獄

 そんなレイクビューの最も哀れな場所は最下層の貧民施設、通称「2ギガ」。そこでは使用できる容量が月2Gのためそう呼ばれているわけだが、動けばデータが減り、本を読んでも考え込んでもデータ量が減る。データ量を使い切ると通信制限なんて甘やさしいものはなくフリーズして来月まで持ち越しとなる。死後の世界で積み上げられた格差社会。地獄も地獄。

 科学は幻想を超えられない。

 ……やっぱり訂正する。科学は幻想を超えられる。人次第では、幻想が科学を超えることもあるかもしれない。たぶん。おそらく。もしかすると。ひょっとすれば。

 でも、ハッキリわかる。どれだけ発展したとしてもこれだけは変わらない。

 科学は資本主義を超えられない。

 

 現実世界で専用スーツを着てHMDを被って、側から見れば滑稽な風貌で、そうしてやっと電子との触れ合いは可能になる。通話が繋がりさえすればどこででも話ができる。どこにでも連れ出せる。一方的に通話を切ることもできる。触れられない以外、割と自由度は高い。

 ただ、データはカバンにすっぽり入るサイズだし、ハードディスクみたいなケースに話しかけたくもなるだろうが、繋がってはいないので何もわからないし返答もない。ただの電子部品を大事に抱えてイマジナリーフレンドとなった電子機器とあれこれランデブーするのが関の山。脆いカバーバッグをすればいざ知らず、生身で持ち運べばどうなることやら。落としても水に濡れても、彼はそこで消えてしまい完全に元に戻らなくなるのだ。死は突然訪れる。またしても地獄。

 

 そして現代社会ではそんなアップロードしたくてもできない貧民層に向けて、アップロードする権利をすべての人間に開放せよというデモまで行われる始末。

 しかし主人公の父親はというと、アップロードに反対しており、先に死んでしまった自分の妻に会いたいといつも考えている。アップロードをせずそのまま人間として死ぬという考えが完全に古い価値観として扱われている。主人公もアップロードで会えるのにどうしてそこまで過去に縋るのかと説得するも、父親はアップロードを拒否する。正解かも。

 

 

 

 

 

 

 

 

うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 舞台としてはそんな感じです。あらすじはあんまり書いてません。

 ネット小説などでよくゲームの中に入り込んで展開するものがありますけど、VRMMO小説とか。

 あれを、データ、通信などの面から細部まで作り込んでいて、実際こういうバグってあるよねみたいな所謂「あるあるネタ」をギャグとして適度に挟む、そんな感じです。バグもグリッチもある、所謂チートコードを売り捌くダークウェブ的存在もある。余計に細かいところはリアルに作られ、そのくせ森の葉っぱには企業名のロゴが書かれている。客の要望が他の客にとって不便な点になるという面も描かれている。ポップアップ広告は平面で見るよりもより鬱陶しく目の前に浮かんで、機械のレジ係は融通が効かない。スーパーの棚に並べば即座にスキャンされて野菜を摂れと言われる。世話焼きAIがお節介すぎるくらいがちょうどいいのか知らないが、機械が柔軟な対応をできればどうにかなるのだろうかなんて思ったりはする。

 まぁ話を戻す。よく言えばリアリティがすごい。コスチュームを変更するのに課金、データとして動けるようにするために課金、課金課金課金の生活、それが新しい死後の世界。そんな様子を描いていました。

 

 とても面白かった。ここまで、ストーリーについてそこまで触れた感じはないのでこういう要素の中で、更にドラマが起こるので見てほしい。VRMMO小説とかそういうの考えてるなら、シチュエーションこそ違えど参考にはなるかもしれません。

 

 シーズン1、Amazonプライム独占配信中です。今月始まったっぽい。そのせいなのか、タイトルの検索しにくさが関わってるのか、感想の検索が非常にし辛い。これがちょっと小さな地獄。

 

 シーズン2が楽しみです。

 

 

 

 

 

https://slsweeper.hatenablog.com/entry/2020/04/27/025711

 

だと。

 寝惚けながら書いたのが良くなかったかもしれません。ただ単に近況を書くつもりだったのに、何を思ったからプレイリストまで貼っちゃって。学生時代の懐古に浸って。十代の断片的な思い出と。恋愛のことをネチネチと。詩的と言えば聞こえはいいかもしれませんが、実際根底にあるのは呪詛ですからね。呪詛を綺麗にコーティングするとああいう風になるんです。

プレイリスト貼っちゃったので説明でもします。

あれは小学中学高校大学と、音楽の好みの変遷を表しています。冒頭数曲続くアジカンは例外的ではありますが……スネオヘアー辺りは中学の思い出です。深夜に音楽だけを放送するラジオを流しながら寝ていた頃、スネオヘアーに出会いました。ファンになりました。

高校の頃に相対性理論とかチャットモンチーとかロック系統の存在を知る。その辺です。ボニーピンクカーディガンズも深夜ラジオで知りました。

 基本、携帯も持ってなかったので、音楽情報取り入れるとしたらラジオしかなかった。僕は休日になるといつも隣町の古本屋まで自転車で遊びに行っていたのですが、休日最後の夕焼けに照らされながら帰るときに、いつも聞いていました。

 高校になるとほとんどアニソンとロックにハマってしまったのでその辺りです。凛として時雨、ねごと、椎名林檎もこの辺り。

 大学。完全にロック好きになり、Twitterもうるさかったあの頃です。ロックばっかり聴いてました。ちょうど鬱になりかけたあたりで鬱々しい曲を聴くようになって卒業。

 Apple Musicに入ってから音楽の趣味は四方八方に飛んで行きました。

 

 曲順、まだ完璧な並びではありません。時期ごとによく聴いていた曲は思い出しておきたい。そんな気持ちです