(_ _).。o○(日記?)

Twitter(slsweep0775)ではとても書きづらいと思ったことを書いて、さらにそこから流れる思考に任せて自由に書くブログです



本当はブログで書こうと思ったんですけど、ツイッターって短文入力装置だから塵も積もれば山となる的なアレですよね、試しに書いたら止まらなくなりました。

 

新しくカテゴリを設けました。

あなたの名前は「フィクション」です。いいね?

またもや文体の地雷について書いてしまった

http://slsweeper.hatenablog.com/entry/2017/08/21/234453

軽い気持ちで書いた日記ですがいつも以上にアクセスされている。恐らくいつもは設定していないタイトルをわざと狙って設定したものだから、挙句それをTwitterでもつぶやいているものだから検索したらそりゃ日記引っかかるよなと思った。というかそれが狙い。なんにもコンタクトは来ていない。それでいい。それくらいが丁度良い。

日記書いた後に文体地雷についてネチネチとツイートし続けたらこんなことになってしまった。誰が悪い?誰も悪くない。つまりそれは裏を返せば誰も彼も悪い。

言語の壁を設けた主にこそ罪はある。誰もが生まれながらにして原罪を持つというが、主も神も仏も例外ではないことがよくわかる。

そういうことです。異質なものに対する恐怖。明朝体の本文中に突如として出現するポップ体。ポップ体はまぁダサいフォントとしての認識が定着しつつある昨今でも、さすがに明朝体で統一された文章の中に何の脈絡もなくポップ体の一文が割り込んできたならば、それはもう高次元レベルでの恐怖でしょう。ダサいフォントでも恐怖を与えうる可能性は十分にある。

もはや地雷というよりは恐怖症に近い。

しかし何故「地雷」は本来の意味から外れ、「苦手」「恐怖症」という単語の持つ領域を侵犯してしまっているのだろうか。

「地雷」というワードに関しても、まぁそろそろ新しい意味として辞書に載っていてもおかしくはない。既にそうなっているかもしれないが。同人界隈における「地雷」の持つ定義は割とハッキリさせておいたほうがいい。暴走しかねない。

「苦手」「恐怖」などなど、ある分野に対するネガティブな感情をそれぞれ円を描いて表したとする。

ツイートにもある通り、そのネガティブな感情のさらに一部分が、どの円にも含まれているとして。

仮にそれを貫く何かが登場し、名付けられたのが「地雷」だとしたら。

暴走します。

当然。

もうそうなってますよね

 

主張的な日記になるのちょっと不本意ですがまぁその辺りの定義については再考の余地がある。有り過ぎる。

そんなわけで今日もタイトルつけます。

何にしようかな。

いつも作品書き終わってからタイトル考えることが多いので、この日記に関してもそうなんですけどね

文体の地雷が新しい感覚だった話

誤字や脱字や誤用が気になって作品にのめり込めないという気持ちはある程度わかる。

なので件のRT、つまり誤字脱字誤用が気になってしまう人の1.2万ちょいリツイートされてる方と、その何日か後にツイートされた、これまた1.2万ちょいリツイートされてる「字書きに厳しすぎる」旨のツイートを見てとりあえず文章表現に関する地雷は結構あるのではないかと思い、狂ったように思いつく限り「地雷」の種類を思いついてツイートしたのですが、スレッド形式にしなかったため時間経つと結構見つけにくくなるのでとりあえずまとめます。

そう、件のRTをした後に思いついてツイートした。文体の地雷、ありそうでなかった発想。

補足。或いは、「三点リーダの数を偶数で統一しない」「、、、地雷」「。。。地雷」「///地雷」などなど。

まぁウィキの修辞技法の項見て思いつく限り並べて見ただけです。

 

最終的にこうなる。

ただ、件のRTが言っているのはプロ作家の文脈ではないので、同人小説をあんまり読まない私にはそこまで踏みこめる立場がない。

 

まぁプロ作家の文体であっても地雷はあるんだろうなぁって。

 

 

槍玉に挙げられやすい「ら抜き言葉」が地雷というのもあるかもしれない。地雷と表現するよりは、「物語に集中できないレベルで気になってしょうがない」のかもしれない。ただ、言葉そのものは常に変化するので、アレですね、いわゆる若者言葉や略称を文章に盛り込むことが苦手な方もいるでしょう。私が所蔵して居た文芸研のメンバーが書いていた小説にも「それな」とか使われてましたし。私自身は特にキャラ付けの一環とかでもない限りそういった表現は使いませんが、読む分には全然気にならない感じですかね。

 

この辺りは遊び感覚ネタ感覚で「地雷」という言葉を使っているので、地雷というよりは「苦手」と表現する方がよろしいかと。

 

どちらかというとこれまであまりバズるほどの議論がされていないような気がする「字書き」「文字書き」という表現かな……。せいぜい「物書き」が許容範囲といいますか。「絵描き」という呼称を文章書いてる人にそのまま適用したのだと推測されるけども、何かが違う。何が違う?さぁ?はて?

 

ところで「脱字」の反対、対義語は「衍字」です。脱字の意味がわかるならばおわかりかと思いますが、「思いまます」みたいに文字が多い感じのやつです。

マイナーですよね、初見では読めなさそう。

最近、itunesから音楽をダウンロードしたりし始めました。配信限定とかでリリースされてる曲があって、CDレンタルだけではどうにもならない感じのものもあったりするのです。

今までそういう配信限定曲のダウンロードに対して億劫な感じがありました。

そもそもいつも音楽を聞くときに使っているのがウォークマンなもので、itunesと言いますと主にApple製品、iPodとかiPhone向けに音楽を配信しているところです。itunesの曲をどうにかしてウォークマンに入れられないものかと高校あたりから考えてました。高校の時はまだ携帯すら持っていなかった(携帯はおろかPCもネット環境もなかった)というのもありますが、そもそもitunesからダウンロードした曲のファイル形式が対応していなかったのではないか?という問題がデカかった。x-アプリを使ってウォークマンに曲を入れていますが、その前身であるSonicstageがそのファイル形式に対応していたかどうか定かではありませんが…

あと、itunesからダウンロードした曲自体に保護がかけられており、簡単にウォークマン対応ソフトへの取り込みができなかった、というのもあるらしく。今はそういう保護がかけられていないので割と自由らしいです。

itunes自体は、曲をCDに書き込む機能もあるので、斯くなる上は一旦CDに書き込んだあと、そのCDから他のソフトに取り込むか…というややこしい作業を強いられるのかとか思いましたけど。

 

そもそも、今の時点でそういう回りくどいことをしなくても、m4aファイル、つまりitunesからダウンロードした曲のファイル形式が、x-アプリに対応していたので、直接取り込むことができました。

 

というわけで、itunesから音楽を購入してダウンロードすることに関しては、値段以外のハードルが無くなったにも等しくなりましたね…

レンタルでも取り扱いしておらず、そしてitunesにすら売ってない、というような音楽を探し求めてブックオフに行くかAmazonで探すか、になりました。

 

崩壊の足音を感じます。

地響きが止まりません。

落雷ですが、かなり酷い。

ツタヤディスカスでCD借りてるにもかかわらず、2日連続で10枚1000円(しかも新作含む!)のフレーズにつられて2日で20枚借りました。TAHITI 80とかThe Chemical Brothersとか、The Baker Brothersとかを借りました。

でも飛び抜けてよかったのが、DYGLという日本のバンドの「Say Goodbye to Memory Den」ですね。

ガレージロック…UKロック…その辺りの感じが凄い。ほぼ洋楽です。アルバムの歌詞も全部英語です…対訳はありません。すげぇのが出てきたなぁと思いましたね…

 

追記

対訳ありました。歌詞カードに挟まってました。対訳歌詞カードが別でついてるあたり、マジで洋楽かと思ってしまう。

 

八月に入りました。八月に入ってからこのブログ更新してませんが、何故か7件もアクセスが来ているのは驚きです。ありがとうございますといったところでしょう

溜まりに溜まっているアニメを消化しなければなりません。なのにAmazonプライムビデオで仮面ライダー龍騎やWを見てる始末です。龍騎は見ていたので見返す形ですが、Wは初見なのです。

 

自分でこう言っときながらなんですが、「アニメを消化する」って表現に引っかかるようになりました。何故でしょう、今までなんの躊躇いもなく消化消化言ってたのに、見たいから見ているのに、まるで見なければならぬという使命感に駆られている気がするのです。不思議ですよね、恐らく今後も違和を感じながらアニメを消化するって言うんでしょうけど、どうも引っかかります。

消化?消費?はて?

 

ロキでおなじみトム・ヒドルストン主演の映画ハイ・ライズをこの前見たのです。

 

だいたいこの辺りに尽きます。新たに何か書こうと思ったものの、だいたいはツイートしてました。ドクター・ラングは孤独です。時にもよりますが。そして孤独を楽しんでます。人付き合いが苦手、賑やかなパーティもちょっと…という感じの人で、基本的に一人でいる時間、彼は彼でい続けることができます。その時間こそが彼にとっての安らぎ。だから、終盤で遂に人がほとんどいなくなった荒廃したあのタワーマンションはとても静かで、彼が彼でいられるに適した場所になってました。

高層階の住人ほど身分が高くなるというこのマンション、ビジュアルとしてはマインクラフトで作れそうな、シンプルなデザインです。しかしながらとてつもなく大きく、それ以上にそのマンションが建っているだだっ広い駐車場。地平に建つ巨大建築物。ビジュアルとしては最高です。

特にきっかけもなく下層階の人間が暴動を起こしたとは言うものの、明確には、  ふと起きた停電がその予兆ですかね。お前らが電気を使いすぎるから、というのはまぁ今で言う通信制限的なシステムに似ている気も。

主人公でありながら、ラングはそれらの出来事には全く関与しない、殆ど傍観者の状態です。ワイルダーロボトミー手術を施そうという上層階の人間たちの企みに巻き込まれそうにはなるものの、それ以外で明確に彼が主人公としての役割を全うしたとは言い難いでしょう。彼はただ見ているだけでした。

……ところで、中学高校と私もそんな立ち位置にいた気がします。ハイ・ライズがやけに印象に残っているのも、恐らくそのせいでしょう。クラスの一軍達が勝手に引き起こした事件をはたから見るだけで何もしない系の、言うなれば休み時間にいつも机に突っ伏して寝ていたり、屋上で一人で昼寝したりしている感じのあの感じ。あの感じです、ドクター・ラングはそんな感じの人でした。「なんだかよくわからないけど住人達が争って荒廃してしまった」「だけど平穏で平和な日々を過ごせている。とても幸せだ」と。

ぼっち系の人間には結構共感しやすいのかもしれません、あの映画。思わず原作本も買ってしまったのでとりあえず読むことになります。