どうやらそうらしいです。
これからもよろしくお願いします
どうやらそうらしいです。
これからもよろしくお願いします
どうやらあと5日ほどでこのブログを始めてから1年になるっぽいです
一年前ですか、なんか実家にいてリビングでスマホ弄って、はてなブログに登録して早速記事を書いたみたいな記憶しかないですね
ちょうどなんとなく人生が楽しくなってきた辺りで、それが9か10月くらいまで続いたような気がします。それ以降はどうだったっけな…大学も全然なくなっていったので小倉に行く用事もなくただ家にいてゴロゴロしてたみたいな記憶しか。映画を見に行くにもその頃には定期を買っていなかったので交通費もかかってくるので足が鈍ってきている時期でした
アウトドア用の折りたたみ椅子を買ったのでベランダに置いています。最近の夕方は風も吹いてて気温がちょうどよくて、仕事から帰ってきたらベランダに出て椅子に座って、日も長くなってるからまだ明るいのもあって本を読んだりなどしています。そう、本です、読書です。通学が電車だったのですが通勤自体が自転車なので本を読まなくなってしまったんです。実家に帰る時は電車なのでその中で本を読むか、あとは映画始まるまでの長い待ち時間の間、サンマルクカフェで本を読むかしているくらいです。あとは寝る前にベッドで本を読むくらいです。読む量は確実に減りましたね…本を読む場所、空間自体は増えてるんですが時間が減りました
まあその、書いてはいます。なんか思いついた話をチラホラと。あとはメフィスト賞も諦めてないのでそっちに送る分もまぁ書いてはいます。書いてはいる。書いては。
あとは、入社して早々転職したいみたいなことを考えてたりしますがだいぶ先になりそうです
「作家がジェンダーに気を使う流れがあって、ではその流れには読者自身も対応していかなければならないのだろうか」という疑問が、一連の流れを見てて浮かんできた
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
作品自体が作家のものである以上、どうやっても作品への批判が作家への批判になってしまうことがあって、その上でより多くの人間を楽しませるために作家は、今回の場合だと、ジェンダーを始めとする「倫理」に気を使う
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
「「ジェンダーを気にしない」と言ってるのは関心がないと言ってるのと同じで無頓着なだけである」のような主張があって、発端の人物が作家志望者であったから、それが他の作家志望者そして作家そのものにかかってきてる
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
「現代においてジェンダー観がメチャクチャな作品を書くような作家は批判されてしかるべき」みたいな流れが出てきて、するとそこで、「ジェンダー観がメチャクチャな作品」を純粋に楽しんで読んでいる読者にも批判が浴びせられたりはするのだろうか、と
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
作品を楽しむ点において、作家ほどではないにせよ、読者も何かしらの責任を負わなくてはいけないのだろうか、みたいな。作品内における価値観を、現代において安易に適用しない、みたいなのはあるかもしれない
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
ただ、読者自身がその作品を楽しめないならいざ知らず、楽しんだ場合に、「楽しんだ」という時点で終わらず、「この作品は倫理的に云々」みたいなところまで言及しなければならないのだろうか、あるいはこれからそうなるのだろうか、みたいな
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
小説を読む上でジェンダーなどの色んな点を気にすることなく読む人や、そうした点があることを把握しつつ「敢えて」気にせず読む人とかはどういう扱いを受けるのかな、とか
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
そういう「倫理的に問題のある」作品を、作品は作品であるとして読んでいるとか、読む上で気にしないとか、気にならないとか
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
そういう人たちは「意識の低い読者」としてレッテルを貼られてしまうのか、とか
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
また一方で「倫理的な問題点が気になってしまい自分が楽しむことのできる作品が全然ない」みたいな人は、「倫理的な問題点が有ろうと無かろうとどんな作品でも楽しむことができる」人をどう思ってるんだろうか、とか
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
さっきの「前者が後者をどう思ってるのか」に関しては、羨ましいと思っているのか、そんなことは全然ないとか、あるいは、寧ろ軽蔑してるとか、もっと行けば「そういう人はちょっと信じられない、差別主義者も同然」とか色んな人がいるんだろうな、と
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
そして、仮にジェンダー的に正しい作品を楽しめない人間に対して、「その作品を楽しめないのはジェンダー観が歪んでる証拠だ」とか「ジェンダーをアップデートできていない貴方が悪い」みたいな方向に行ったりするんだろうか、とか
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
または「倫理的に正しくない作品」がこれからは作品の価値を位置付けるに当たってマイナス要素となるのか、とか
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
そこまで含めていらぬ心配をしてしまう
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
ぶっちゃけて言うと、私がミステリに限らず小説を書く時って、倫理的なことはとりあえず考えてないんですよね、ジェンダーにしても然り。とりあえず書いて、それから考える感じです。ん、いやそれは考えてることになるのか……?
ただ、この「考えない」って言葉選びがまずいみたいで、基本的に良いイメージはないみたいです。ツイートにも書いたように、「考えないのは思考停止であって無頓着なだけ」と、そう受け取られる。みたいです
ミステリにおける犯行の動機として性犯罪が安易に使われすぎているみたいなツイートを見て、まぁそうなのかなとは思った。そうなんだろうな、みたいな。よほど多くのミステリを読んできたんだろうみたいなそういう意地悪な思惑抜きにして、多分今まで読んできたミステリの中に、運悪くそういう要素がありすぎたんだろう、みたいな。これもなんか誤解を招きそうな書き方ではありますが
私が読んできたミステリの中にもそういう要素はあったので、わかるっちゃわかるというか
……というより私はそんなにミステリというほどのミステリを読んでないのでそもそもこの件に関してはまともなコメントができないんです
だから書き手ではなく受け手側からのツイートでした。下手に慣れないことはするもんじゃありません。幸いにも反応は来なかったけど……
自分で書いておきながら気分が悪くなってきたた
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月29日
「自分自身は(今は)怖くないが、見る人が見れば怖いんだろうな」みたいな想像が働いてしまうことが時々あって。
「風景画が怖い人ってどれくらいいるのかな」みたいな疑問が浮かびました。風景画に恐怖心を抱く風景画恐怖症の方にはコメントをお願いしたいくらいです
「(今は)」と付けたのは、この先なんらかの出来事があってトラウマ級に怖くなる余地が十分にあるのと、今となっては怖くないが、過去に怖いと思っていた時期があったから、という二つの理由があります
で、風景画が怖いという心理ですが、これは僕の中では後者に当たるわけです。風景画が飾られていた祖父母の家の暗い廊下を通るのが怖かった、通る時も絵の方に視線を寄せなかったみたいな時期があります。なんなら廊下が明るくてもダメでした
その時の絵は「夕焼けを背景に、辺り一面にコスモスが咲いているもの」でした。サイズはそこまで大きくなかった。大きかったらまだトラウマを引き摺っていた可能性はあるかもしれない
何が怖かったかと言うと「人がいなかった」ことなんですよね、その絵の中に人が一切描かれていなかったんです。風景画なんて大体そんなもんです、人が描かれていてもせいぜい主役ではないので絵の中で大々的に描かれているわけでもない。なのにその時は人が描かれていなかったことに不気味さを感じて怖くなってた。こんな冷静な分析ができるのも、年取って色々考えることができるようになったからでしょう、でも根本の不気味さを感じたことに関してはまだよくわかってない
「絵の中に人がいない」ことを不気味だと思う心理がわかりません。でも確かに不気味だったし、あの頃は確かに怖かった
SMAPの「世界に一つだけの花」のジャケ写も怖かった思い出があります。ジャケ写ですが、地面一面に花が咲いた街の様子を絵で描いたものでした。
そこにはやっぱり人がいなかった。祖父母の家の絵よりももっと不気味に感じたのかもしれません、本来人がいるはずの都会の街並み、人がいるはずの景色、そこに人がいなくて、代わりに花が咲いてるだけ。本当に不気味だった。その記憶だけがあるんです。今そのジャケ写をネットで検索して見てみても、不気味には思わなかった。代わりに不気味に感じた記憶だけが返ってきて、どのあたりが怖かったのかもなんとなく理解できた
子どもってのは妙に想像力豊かなところがあって、常識が十分に備わっていない分、突飛な考え方もしやすかったりする。どうやらその頃の私は「世界に一つだけの花」のそのジャケ写を見て「人類滅亡後に花が一面に咲いた世界の景色」と考えたっぽい。人類滅亡って、子どもにとっては大人以上に恐怖だったり
で、祖父母の家のコスモスの風景画に対しても同様に「人がいない」ことに違和感というか不気味さを感じて恐怖を抱いていたわけですが、この「人がいない」に敢えてもう一つ付け加えるとしたら、「絵を見てる自分以外、その絵の中に人がいない」ことなんだと思いました。絵の鑑賞者が絵の中に取り込まれ、その上でその風景画の中に人間が自分一人しかいない状況。絵がリアルなほどその度合いは強く、絵の中に放り込まれた気分になる。そんな感じで。
もしかしたら、人工物が無い方が度合いは強くなるかもしれません。朽ちてようがなかろうが、とりあえずあるのは自然のみ。そしてできれば植物以外の生物を排除した状態。
大きな池があるとまた不気味さは増すかもしれませんが、その場合だと巨大なものが怖いというメガロフォビアの分類になるかも? 雄大な自然に対する恐怖も、メガロフォビアの派生になるかもしれないのだろうか
ただ言えるのは、多分写真じゃそうはならないかもしれないということ。あくまでも恐怖を感じるのは絵。CGはギリギリ入るか…?ラッセンみたいに背景が宇宙みたいな感じだったらどうなんでしょう、大きな惑星が怖かったらメガロフォビアになるかもしれない
それともただ単に風景から人が排除された状態が怖いだけなのだろうか……?
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月7日
一人暮らしを初めてそろそろ1ヶ月が経とうかしているところですが、まぁ普通に外食とかしちゃってますね、特に遅くまで映画館にいることが多いので、映画始まる前にご飯を食べる、みたいな
これはポムの樹のオムライスです
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月12日
このホットケーキは家で焼いたやつです。ホットケーキを焼きたい気分だったので、近くのスーパーで卵とホットケーキミックスと牛乳をかって、混ぜて焼きました
割と目分量なんですが、そこそこいい感じにできてましたね、やはりホットケーキミックスだからでしょうか
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月13日
これもまた、映画始まるまでにご飯食べとこうと思ってPRONTOに寄った時の写真です。昼はカフェで、夜はバーみたいな営業形態をしてるんですが、お手頃価格でピザとセロリの漬物みたいなのを食べました。久々にピザをまるまる食べたなぁという感じで
飲み物はいつものごとくアイスコーヒーです
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月6日
カップケーキです。近所に24時間営業のお店があって、そこではケーキやらを売っていたりします。このクリームたっぷりのカップケーキは必至
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月19日
これはサンマルクカフェです。22時にヴァレリアンを観るので、それまでものすごく暇だったということもあって、サンマルクカフェで本を読んでいました。チョコクロワッサンのイチゴ味です
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月24日
ムニエルとからあげです。鮭に小麦粉をまぶして焼いただけ。鶏肉にも同じようにして、少し多めの油で焼く感覚で揚げました。揚げたというのかどうかはわかりませんが、美味しかった。どちらも次の日のお弁当に入りました
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月25日
チヂミです。小麦粉とニラを刻んで混ぜて焼いただけ。それなりのものはできました。一枚だけ、中にチーズを入れて焼いてあります。ポン酢で美味しくいただきました
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月27日
通勤途中にある、深夜までやってるカフェで飲んだコーヒーとパウンドケーキです。ジュマンジを観に行った帰りの午前0時半位のことです
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月27日
これは別の日。ローソンのメガサイズのカフェラテです
— [ ■ ] (@SlSweep0775) 2018年4月28日
カツ丼です。乗ってるのはチキンカツです。カツだけ買ってきて、めんつゆで炒めた玉ねぎの上にカツを乗せて、溶き卵を入れるとこうなります
そんな感じでなんだかんだ家で御飯作ったりはしてますね、なんか急にめんどくさくなることがよくあるので、それこそ昨日はご飯だけ炊いておかずをほっともっとで買いました。チキン南蛮弁当を久々に食べたんですが、家で作れるかどうかを検討中です
ふとCorneliusを聴くと大学時代を思い出すようになってきました
しかも大学1年の頃を
ちょうど自分の住んでる街を飛び出して、まぁそれ自体は高校の時もそうだったんですが、高校よりも更に離れたところに大学があったものだからそれなりに遠く離れた場所まで通学してたなぁ、と
通学途中にTSUTAYAがあって、そこで頻繁にCDを借りていました。みるみるうちにウォークマンの容量は満杯に近づいていきました
ちょうどその中にCorneliusの一連のアルバムが全て含まれていて、特にFantasmaがお気に入りで、次点で69/96でした
日が沈んだ頃に授業が終わり、入りたてのサークルの部屋へ向かうわけですが、いかんせん4月も終わったばかりの頃で、まぁまだ落ち着いた雰囲気ではなくて、6月に開催される小規模の大学祭を前に早くもソワソワしていた可能性もある
そういう周りの雰囲気をかいくぐって静かな部室で音楽聴きながら本を読んでいた感じです
10月頃に開催される本命の方の大学祭の時もそんな雰囲気でした。別の部室からは軽音サークルが練習する音が聞こえてくる、それ以外の部室からは笑い声や話し声が聞こえてくる、といった風に
基本的に暗くなるのが早い季節にそういうのを聞いていた記憶があるっぽい
周りの喧騒をよそに自分だけの世界に入りがちだったこともあって、音楽と、その音楽を聞いていた当時の記憶というのが結構強く紐付けられていて、聴くと思い出せるみたいなこともいくつかあります
そんな感じです
最近コメント欄が荒れてるっぽくて、まぁ放置してる状態なんですけど、英語なのでスパム的な何かかもしれません、対処したほうがいいかもしれない
さて4年間にわたる大学生活、そして十数年にわたる学生生活もようやく終止符です
まぁなんか色々ありましたが、4月からもよろしくお願いしますといったところです
最近ブログのことが綺麗さっぱりと頭の中から抜け落ちてて、何か思ったことを書こうとして何も思い出せないみたいな感じなので多分更新もそこそこでゆるやかに続くかもしれません
そういうわけでよろしくお願いします