(_ _).。o○(日記?)

Twitter(slsweep0775)ではとても書きづらいと思ったことを書いて、さらにそこから流れる思考に任せて自由に書くブログです

レゴは簡単にクロスオーバーができる

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僕はレゴが好きだ。

ずっとやっている。

特に、ミニフィグと呼ばれるレゴの中における人形パーツを組み替えて、自分だけのミニフィグを作り上げて、そこに武器や設定を持たせて遊ぶのが好きだった。

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特に気に入ったミニフィグには、強さランキングで1位を譲らない最強の存在という設定を与えて、主人公に据えて、他のいろんなミニフィグと遊んでいたのだ。

 

もうキャラとして完成してしまった以上、そのパーツはそのキャラ専用となってしまい、他のミニフィグには使えないというくらいの強い制約も生まれた。

今思えば、僕はそういうオリジナルキャラクターに対して、一種のアイデンティティを見出していたかもしれない。僕が作った僕だけのキャラクターという枠組みを超えて、完全に作られた存在ではない、自分で考えて行動するようなキャラなんじゃないかと思うほど、思い入れも強かったのかもしれない。

 

しかし、対する敵はというと、僕はオリジナルでミニフィグを作ることをしなかった覚えがある。

版権もの、例えばスターウォーズやアメコミ系のレゴに出てくる悪役キャラクター。

僕の中では悪役を彼らに据えて、自分たちのミニフィグが原作そのままの悪役を、同時に現れる主人公側のアメコミキャラやジェダイやトルーパー達と一緒に倒すという形式でやってきた感じ。

 

子供の頃は、大抵物語の流れに納得できずに地団駄を踏むことが多い。ヒーローが苦戦していればテレビ越しに応援するし、ヒーローショーでも子供達は頑張れとコールする。ドラえもんの映画でも、ピンチに陥るシーンでは「他のひみつ道具を使えばいいのに」ともどかしくなって妄想の中で「自分ならこうする」と、自分なりの対処の仕方を考えながら眠りにつくのだ。起きれば忘れてまた楽しむ。

 

大々的にとまでは行かなくとも、自分で考えたオリジナルキャラクターが、複数の原作の悪役と闘い、半ばチート級の強さで圧倒するという流れは、遊んでいた当時の僕からすれば、それはもうカタルシスだった。

だって、原作では何度も主人公は苦戦を強いられていたし、罠に嵌められ仲間を失ったりすらしたから。

幼い僕は、これをすごく悔しいと思った。僕が物語の中に入って「次はこうなるぞ」だとか「罠だから避けよう」だとか、「これを使えばいいじゃん」だの、あれこれ介入して主人公を助けようと考えたりすらした。

寝る前の妄想で、僕が物語の中のイレギュラーな存在として、結末まで全て知っている状態で、ドラえもんを窮地から救い出す様子を何度も何度も考えた。

でも所詮は子供の妄想に過ぎないという重い壁が立ち塞がる。フィクションには、それを作っている人間がいる。その人間達の采配ひとつで、キャラの死は決まる。僕は途方に暮れたりもした。

 

でも、窮地に陥る彼らを救う方法を、子供ながらに思いついたのだ。

それがレゴだった。

 

オリジナルのミニフィグ、オリジナルの設定、チート級の強さ、かっこいい武器、全部乗せて最強のミニフィグを作った。それも一人二人三人と増えていった。設定も細かくなっていった。レゴのオリジナルシリーズのキャラクターを仲間にしたり、手当たり次第に仲間を作って強い設定にしていった。服装は違えども仲間であることに変わりはない。僕以外は誰にもわからない、オリジナルのエクスペンダブルズを作り上げた。

そうして戦わせたら、最後に勝つのはやっぱり僕ら。大人だったら「勝ってばかりでつまらない」と思うかもしれないけど、子供ならそんな合理なきご都合主義も許される。

 

これは、僕が展開するオリジナルのミニフィグ物語と、別の世界からレゴ化してやってきたキャラクターのクロスオーバーってところだ。

年を経るにつれ、悪役も強くなってきた。そういう設定を与えた。組織という概念、階級という概念も、僕は取り入れた。

そして別世界からやってくるキャラクターも増えた。

オーバーウォッチのメカがマーベルのクリーチャーを倒したり。

キャプテン・アメリカがストームトルーパー相手に無双したり。

アイアンマンとバットマンが仲間になったり。

ニンジャゴーのキャラクターがヒドゥンサイドやモンキーキッドのキャラクターと共闘して、マインクラフトのクリーパーを倒そうとして爆発に巻き込まれたり。

版権もののレゴシリーズを一つでも買っておけば、こういうクロスオーバーは簡単にできてしまう。それが楽しくて、大人になっても相変わらず戦わせている。

多分、僕が物語を作ることを楽しいと思うことになったきっかけの一つなんだと思う。僕は誇りたい。

 

流石に主人公側がピンチに陥ることも増えてきたけど。f:id:slsweeper:20211112030552j:image

アイアンマンという名前の鉄板焼屋がある。

http://hakataironman.com/

角切りキャベツと豚肉をにんにくの効いた辛味噌で塩気の強いスタミナご飯。

店でこの味を食べてからこの味に惹かれてしまい、どうにかして家で再現したいと思うようになった。

実際簡単なもので、キャベツを角切りにして、豚肉でなく鶏肉を使ってもいい。切ったものを焼いて塩を振りにんにくチューブを使えばできる。

できるのだけど。

味の再現が難しい。大まかな味の方向性は決まった。それでも微妙な匙加減が左右してて中々どうして難しい。

多分辛味噌が鍵なのだろう。

地元のスーパーの肉コーナーに行くと、「福岡名物スタミナ焼き」なるパックが売られていた。

味付けされた肉と辛味噌チューブもついている。

早速買ってキャベツと混ぜて作った。

これだ、と思った。

同時に今まで何度も再現しようと試行錯誤してきた味たちをそのスタミナ焼きに見たと思う。

道筋は間違ってなかったっぽい。

そんな時ににんにく背脂とかいう休日前にしか使えないような調理料が売られてるのを目にしてしまい、

 気がついたら調理途中のフライパンに入れてしまっていた。

 結果オーライ。美味かった。

 また作るよ。今度はもやしと細切れ肉でにんにく背脂。

 野菜炒めには基本的に合う。

 

 

 

 だいぶ前にmuuteというアプリを入れました。

自分の今の気持ちとか、ログを残しておくと、一週間の自分の状態を、文章解析などの分析によって教えてくれるメンタルケアには最適なアプリです。

ただ、日記が頻繁に続いたことはないので、ログのないウィークリーメッセージが届くだけになっています。

見た夢の日記くらいか。

ただ、移動ログがとても役に立っていて。

自分が移動した道筋を示してくれて、何歩歩いたとかも教えてくれるのが楽しいです。

 僕の状態は良くも悪くも。

 完治のない病気が精神病の厄介なところ。

 言ってしまえば普通の人間とそれほどメンタルの浮き沈みは変わっていないかもしれない。

 環境がコロコロ変わってしまったり、明日の生活もままならないような状況であれば、そういう時に悪化するのでどうにもならなくなりますが。

 今は実際そうでもない。

 ということは、つまりどういうことなんだ?

 仕事とアウトプットとインプットを隙間なく使っているから疲れてるのかもしれない。いつも何かしらを作っているし、何かしら見ている聴いている。休みの日には映画館行っちゃうし。

 なまじ全部楽しいことなだけあって。

 本腰入れて休んでないかもしれないな……

 

 ということで、まぁ休みます。やりすぎないように、作りすぎないように。

 ソイプロテイン ってやつを飲み始めました。移動手段が徒歩とか自転車とかなものだからまあいいんじゃないのかなって。

 

アカウントを集約します。

 

まぁこのアカウントが閉鎖するわけでも鍵かけるわけでもないです。そもそもTwitterのアカウントはログアウト状態、ほとんどマストドンにいるしで、あんまり浮上してきませんでした。白状すると、天岩戸から時々覗き込んで様子を伺う天照大神みたいな感じで時折TLにもいました。

そもそもこのアカウントはリアルアカウントの延長線上に存在していて、主に大学高校時代の人間関係が組み込まれているアカウントでした。文芸サークルの宣伝とか、書いた小説の宣伝とか、そういう感じで。ミステリ関係の方とも相互フォローだったりもします。けっこうごちゃつきながらも趣味全開でお送りしていて、これからもそのスタンスは変わらないのですが、ただ単に、作品発表の場を変えようかとなんとなく思っていただけなので、今回はそのお知らせです

 

前述の通り、何も変わりません。特に何も。

ただ、作品発表の場所が変わる関係で、その分のツイートが減るくらいです。Filmarksが今後映画記録を投稿してくれますし、Apple Musicが毎月聴いた曲を集めたプレイリストを投稿してくれますし、このブログでインストバンド紹介を書いた時にお知らせするツイートも変わりません。

小説だけです。

カクヨムの通知場所が変わります。

これまで自作品専用のアカウントみたいなものを用意してきませんでした。そちらに移行させようという目論見です。

現在、カクヨムのアカウントと、当アカウントを連携状態にしていましたが、それが変わります。

なので、Twitterにて私の作品を追ってくれていた方は、マストドンjpの私のアカウントまでお越しください。多分そっちでは同じユーザーネームでやってます。遠い過去のツイートも消しませんので、そこから追えることでしょう。

 

ならばこのアカウント消せばいいのでは?

となるかもしれません。

個人的にこのアカウント、もう始めてから10年になります。これを閉じちゃうのはなんかなぁって。一応、リアルアカウントとしての役目に戻る感じなので、残ります。残します。

 

意思表明の場もこのブログになったりしてますし、それを伝える場所も必要ですので

 

これからもよろしくお願いします

インストバンド紹介記事は今年中に出します。

youtu.be

Future Funkが心を洗い流してくれる。
毎度毎度思うが、Future Funkやvaporwaveみたいな、著作権的にいつなくなってもおかしくないとされる音楽はどうしてこうも心を掴んでくるのか。かつて聴き慣れ親しんだ曲がテンポやキーのあれこれを変えてさもまっさらな存在みたいにやってくるのが不思議だ。既存のものを並べ替えるとこうも印象が変わるのか。僕もやりたい。

この前大滝詠一の楽曲がサブスク解禁となり、片っ端から聴いている。「君は天然色」くらいしか知らなかった。テレビCMで知ったんだっけ。

futurefunkやvaporwaveの楽曲の元ネタを探るとなかなか面白い。元ネタの声そんな声だったのかみたいな感じがある。オメガトライブの「君は1000%」はヘビロテリストに入った。

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キャナルシティのブラウン管アートのやつはずっと止まったまま。一時期完全に止まり、劇団四季タペストリーによって完全に隠されてしまったものの、ブラウン管がおそらく全部新調された状態で姿を現していたのももう1年以上前。まだ映像はつかない。多分あのブラウン管に流れていた映像が、僕にとって初めてのvaporwave体験で、ああいうのを無意識に求めていたらしい。Olivia Newton-JohnのMV然り、マイアミ・バイスのロゴ然り。

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親がずっと洋楽を聞き続けていた影響はあるかもしれないが、自分の中でそういうものを好むような感性がある程度できてなかったら、ここまでのめり込んではいないだろう。ユリイカのvaporwave特集にてこのブラウン管アートが取り上げられて、再認識したようなのもある。

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youtu.be

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残像華やぐぬるっとした感じの、微妙にぼやけた映像が当時としては当たり前だったわけだけど、デジタル化されて久しい現代から見ると、妙な魅力がある。

子供の頃に昭和懐かし映像みたいなのを見たり、そういう雰囲気を模した看板や色んな物を見ていたのもあるのかも。日田のサッポロビール工場見学に行った時にレトロな部屋をもした展示物を見たり、バラエティ番組のレトロ特集とか当時の放送映像とか。生まれてもいない時代に存在していたものに対して抱いてしまう懐かしさ。謎がある。

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まぁそこまで遡らないか。
「古き良き時代」みたいな言葉に如実に表れていることだが、人は良いものしか見ない。良いものしか印象に残らないし伝わってこないから。暗部や悪い部分はなんやかんやあって後からやってくる。ある要素を好んでいても、その要素の時代背景みたいなものを知ってしまうと複雑な気分になる感じのアレ。そういうやつ。裏話や舞台裏みたいな、表に出てこない感じのやつ。別に知らないままでも問題はないが知っておいても損はないみたいな感じの。なんかそういう複雑な感情。感情が複雑であってなるものかという感じではある。もっと単純に過ごしたい。

体感的に桜を見る時期がいつもよりも早いと感じたが、実際に早かったらしい。

4月が桜の月みたいな雰囲気もなんか古い感触がする。

別れの3月が梅の月で、出会いの4月が桜の月って感じだった。なんか小学校とかもそんな感じで進んでいたし、桜の開花が先か入学が先かみたいな話もあった。満開の時期に入学できたら良いなみたいなこともなんかあった。今年はもう葉桜になりかけていた。

www.data.jma.go.jp

www.data.jma.go.jp

www.data.jma.go.jp

気象庁のデータを見ても今年は異常に早いらしい。


3月も終わりかけってのも変な感覚だ。

「感想」がわからない話

変な記事になるかも。

asdlife.net

 

「感想」って概念、よくわかってないかもしれない。

好きな映画は?

好きな小説は?

アニメは?漫画は?音楽は?

そういう質問が来た時、私はいつもfilmarksを開いたり、本棚を思い出したり、アマゾンの買い物履歴を見たりして考える。

パッとすぐに言えないのだ。見てきた映画、好きな作品が多いからってのは確かにある

 

ただ何にも覚えていない。

 

面白いと思ったし、楽しいとも思ったし、続きが気になるとも思った。映画を見ていたり、漫画を読んでいる時とかは確かにそう思った。

だけど見た瞬間忘れる。

いや見た瞬間は言い過ぎか。

例えば「どんな感じだった?」と質問がやってきたら、「すごく面白かったよ」とだけ答えるだろう。

これは答えるのが面倒だと感じているからではない。

大部分が頭に残っていないからだ。

印象に残ったシーン、ショッキングな演出、お洒落なカメラワーク、役者の演技、全部良かった。確かに良かった。映画を見ている時は確かにそんな気持ちを抱く。

でもスクリーンから出てしまうと、そういうものは全部立ち消えてしまい、残ったものは余韻だけ。良い映画を見たな、みたいな小さな小さな掌サイズの靄みたいなやつ。それだけ。

だから後日、どんな映画だったか教えてよと言われると、私はまずあらすじを調べる羽目になる。

そしてあらすじを朗読し、「そういう話だよ」で紹介パートおしまい。これじゃ予告映像を見てもらったほうが早い。

「あなたの感想が聞きたい」とさらに質問されると、思い出すパートに入る。

 

印象に残ったシーン、どれだっけ。

ショッキングな演出、あったっけ。

劇伴、よかったな。

役名と役者さんの名前、なんだっけ。

 

なーーーーんにも残っていないのだ。

自分でも不思議である。観てる時はあんなに楽しかったのに、時間がそれほど経ってもいないのに、人に感想を伝えるとなるとこうなってしまう。人に感想を伝えるまで行かなくても、感想をSNSに書こうって段階で上記の感じになる。全部自分の中でその作品については妙に納得ができていて、面白かったという気持ちだけが残ってしまうせいで、それを人に伝えようにもなんにも話せなくなってしまうわけだ。

 

原因ならある。

まず良い意味で「頭に残らない」。

良い演出に出会っても「あ、いいな」程度で終わってしまい、頭に残らない。

これ自体にも原因はある。「面白く感じるハードルが異様に低い」からだと思っている。なので、これまで否定的な感想を映画館で持ったり、見るのが嫌になって途中で映画館を出るみたいなのもまだ無い。多分これからも無い。

何を見てもまず「面白かった」と感じてしまい、その後「つまらないと思ったパートを思い出す」って段階も無いので、そもそもつまらないと思うことがなく、全部「面白かった」になる。だって見ている時点では、確かに「おもしろい」と、そう感じていたのだから。

しかしその後「どこが面白かった?」という質問を繰り出されると、何も出てこなくなる。頭に残っていないから。

 

そして多分これが一番原因かもしれないが……

 

「感想、それほど重要?」という気持ち。

 

「面白いなら面白いと伝えればいいのでは?」という気持ちなので、そりゃまぁ面白ければ素直に「面白い」って伝えはする。

でも、そこから「どの辺が面白かった?」って質問が来てしまったら、私はふんわりと「なんかいろいろ。全部。とにかく面白かった」みたいな感じで答えることしかできなくなる。

まぁ記憶力の問題もあるだろうし、感性の問題もあるのかもしれない。一ヶ月前に見た映画なら、まぁ覚えてる箇所とか印象的なシーンとかを言うだけで終わらせることができる。だからまぁ答えることはできる。

 

で、「これまでで一番好きな映画は?」という質問。

これが個人的にハードルが高い。

私が「本当に好きな映画」に入れる基準、「二回見るかどうか」なんですよね。

多分これについてはどの辺がよかったとかおもしろかったとかは話せるかもしれない。

でもそれって、単純に何回も見てるから覚えてるっていう記憶力に寄り添った感想であって、「ここがこうなってこうで面白い」みたいな、感性に寄り添った感想は捻り出すことすら難しい。

あと、記憶力に寄り添った感想は、基本的にあらすじ紹介みたいになる。好きな作品を聞かれて、そうしてその理由を聞かれても、「なんとなく」になる。もしくはそこで初めて「このシーンがすごく好き」「このシチュエーションが好き」「劇伴が好き」「プロットが好き」などの、感想と呼んでもいいのかわからないレベルのものが出てくるわけだ。

 

「このシチュエーションだからこそ、登場人物の造形が映える」「この劇伴が凄いタイミングで流れるからこのシーンの緊迫感がすごい」「プロットごとの演出が凄く意味深で、よく考えられてると思う」

みたいな、難しい感じのやつは一切出てこない。応用ができないっぽい。

 

あと、感情移入が全然できないのもあるかも。

水槽の魚を見てる気分。

「この魚死んじゃったか〜」みたいな気持ちで「あ、ここで死んでしまうのね」とかそういう感じ。基本的にどんな登場人物にも感情移入できないので、感動とかそういうのもわからない。「恋人が死んで悲しいんだな」「まぁ悲しいのはわかる」「泣いてるのもわかる。だって悲しいもんね」みたいな、なんというか薄っぺらい気持ちにしかならなくて、それで泣くとかも全然ない。

だって良かった映画聞かれて答えるときにあらすじさえまともに思い出せないから……

 

読書感想文が苦手なのもそう。

そもそも感想を書くのが苦手。

「この作品を読んで、どう思いましたか?」って質問があるとする。

私は「特に何も」と答えてしまう。答えないかも。任意制なら白紙で出す。何故なら何も思いつかないから。作品を見た後でも、あーそうなんだそういうことなんだと納得しても尚、感想として書くことは何も出てこない。どうしても書け?じゃあ嘘を書く。

 

こんな感じで、レビュー、感想、推薦文、人に勧めるなどの行為が尽く苦手です。

これ、自分の中の感性が死んでるのか、言語化能力が皆無なのか、記憶力の問題なのか、理解力の問題なのか

作品の背景とかも含めて考察できたなら、自分が抱く感想ってやつもまた変わってくるのかもしれない。けどそうなる前に自分の中で完結してしまうのでどうにもならない

 

んー、じゃあせめて練習としてそれっぽい感想を書いて終わりにします。

 

ワンダーウーマン1984を観ました

 

……ネタバレになるから言えないや

 

おもしろかったです

なんか記事を書こうとブログを開いたら、怪しい広告が出てきたのでスクリーンショットを撮りました

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割引ってのはなんかこう、数字を上手く操って、心理的に購入のハードルを下げる加減がよくできてるなと思います。イチキュッパなんて言葉もありますが、トイザらスでレゴを買おうとした時なんかは、百の位から全て9で揃えることで、それっぽい安さを演出してましたからね。5000円のハードルは高いのに、1円引いただけで4999円と、あたかも1000円安くなったかのように捉えられてしまい、ほぼ1000円の999円は全く視界から無くなるわけです

況して上記の画像みたいな広告の値段表記だと尚更です。額も高いですからね

概数にして46000円が15000円に割引と。これはまあ安い方か…ブランド的な問題はあるにせよ。フォントもなんか怪しいし。Amazonマーケットプレイスの電子機器もすごいよね、キャプションが中華フォントなので文章の並びも歪だし訳も怪しい時さえある

上記画像の価格は、先程の概数から200円引いた価格です。200円引くとなんかよくわからん数字になってしまいます。

この辺で「どれくらいお得なのか?」という計算が少しだけ暗算でやりにくくなり、難しいことを考えたくなくなるわけです。まぁこれは自分の問題なんですが。難しいというかめんどくさい計算ですね。000を取っ払って46-15にしても数字がバラバラなので簡単な計算ではあるけどパッと見どうもややこしい感じがある。まぁ繰り下がりはない分楽ですね。

=31に000をくっつけて31000円の割引と。ここで勘違いしやすいのは、事前の概算に関係なく割引は31000円に変わりはないということですかね。元の数字も百の位は8となっており、そこは統一されています。百のくらいすら違ってたら概算のところからやり直す羽目になるんじゃないか?

にしてもまぁ半額以上の割引です。Apple Watchみたいな感じの写真になってますけど多分違う。そんなわけ…

タッチ式の液晶スクリーンって安くなってきてるんですかね? iPod関係は全くさっぱりなので、小さい掌サイズの液晶で音楽を再生したり選択していたみたいなのは知ってるし、なんか似たような粗悪品が乱造されて安売りみたいなのも知ってる。知ってるけど…

その液晶をそのままどうにかしてApple Watchみたいに?

なんか子供の頃はよく「テレビ・ラジオ付きの腕時計が未来に出る!」みたいな話をドラえもんで読んで知ったんですけど、実際そういうの目にすると、「思ったのと違う」みたいになっちゃう。なんでだろう、あんなに憧れていたはずなのに。そんな小さい画面でテレビを見られるかというデメリットよりも、浪漫の方が勝っていたらしい。そもそも子供は理想の機械を妄想する時、デメリットなんか考えませんからね。さもありなんて感じ

 

 

 

 

 ジャガイモを9個蒸すとマッシュポテトが出来上がる。この際ジャーマンポテトでもいいや、シーズニングパウダーにはそう書かれてるから

 家が好きなんですが自由意志で出られないのは辛い。だけど外出したらしたで、道を歩きながらぶっ倒れたくなる衝動に駆られる。実際家の床はフローリングでヒンヤリしている。体の力を抜きうつ伏せで涼を採る日々が続きます

 どうも眼精疲労と低気圧は仲が良いみたいで、頭痛に悩まされる日々が多少続きました。今はそうでもない。目元を温めても、横になっても、何かを食べても治らない。結局はロキソニンに頼るわけですが、空きっ腹のロキソニンはちょっとよろしくないらしく、そのために物を食べなければならないのかと思い結局

 

「カッコいいモノ」に惹かれています。これは中学の頃からずっとです。狼男が好きでした。Netflixの「ラブ、デス&ロボット」とても良かったです。とてもね

 アーカムナイトみたいな、そんな感じの強化アーマーに身を包んだアクションフィギュアが欲しいとずっと思っていて、多少は満たされた時期もありましたが完全ではなかった。Pinterestで日々誰かが描いた強化アーマー、強化スーツ、サイバーパンク、タクティカルファッション、みたいな用語で出されるカッコいいイラストを眺めながら、こういうものが欲しいとずっと思っておりました

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 写真は廃材アートに魅了されていた頃のものです。撮影自体は最近ですが…

 seriaでアルミの針金を見かけた時、この針金でアクションフィギュア作れるんじゃない?と思いとりあえず買う。通学路を歩いていると道端の隅に錆びた金属部品が落ちていて、それを拾い集めていたことがあってそれを活用。廃材部品が肉になった。ある時ペンチを買ったので指を作ることも簡単になっていく。

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そうしてここまでできあがったわけです。高校中期あたりに作りました

武器類はなんかキーホルダーとかプラモあたりから拝借。よって完全な金属ではありません

その辺りのアレコレがあって、未だに「無ければ作る」の精神が染み付いてしまい、フィギュア自作に乗り込もうとしているのが現状です

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エポキシパテという粘土みたいなやつと、プラモのパーツを使い、figmaの素体を改造したものです。初めてフィギュア改造というやつをやりました。これが近況です

 

Pinterestのモデル写真を模写したり、今もですが手記を編纂したり、そのためにCiNiiから論文を引っ張ってはセブンイレブンで印刷をしたり、ビートセイバーの譜面作成に手を出してみたり、unityに手を出してみたりして、常に何かを作ろうとしている節があると感じています。頭の中にある表現したいものが、どうも自分の技術では到達し得ないもので、どうにかしてアウトプットをしている状況なわけです。できるなら3DCGで長編映画を作りたいくらいの、そんな感じの

 

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現状最もデカい買い物です。Oculus rift s

VRやったり、アランウェイクをやったり、ザ・ボーイズ楽しみに見たり、fall guysやったり

したいことがたくさんある

 

 この前の記事ですが、『忌避(仮)』というホラー小説や、一部SCP、映画「来る」「残穢」などなど、所謂ジャパニーズホラーにハマってしまい、その影響です。マストドンにて呟いた物をそのままコピペしたのですが背景までコピーされたらしく

 民俗学系、民間伝承系のホラーはいいですね。大学の時に神事は見ました。授業のレポート課題として、神社で神楽を見てこいというのがあったので。良い体験だった